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「moss design unit」 のテレビ露出情報

劇作家であるとともに俳優など多様な顔を持っていた唐十郎さん。アングラ演劇で知られ、姿やセリフの奇抜さに引き込まれる人も多かった。唐さんは現実世界を忘れさせ芝居の世界が現実だと思わせたかったと話している。小説家としても「佐川君からの手紙」が芥川賞に輝くなどしてきた。教育映画の監督の子として生まれ、幼い頃は無口だった唐さんだが、当時について黒板を見ずに滑り台ばかり見ていたと指摘された事があったと振り返った。運命的な出会いを果たしたのは高校時代で、寺山修司さんの世界観に衝撃を受けたことで戯曲を一方的に送りつけたがその後寺山さんに電話をかけると変・不思議などと評されたといい、薫陶も受けていった。1963年に状況劇場の前身を旗揚げすると翌年に状況劇場へと名前を変えていったが、これは状況の真っ只中にいることを目指したという。新宿・花園神社で紅のテントを張って行った「紅テント」公演はサーカスのように一夜の夢を魅せるという思いがあったといい、「少女都市」はガラスの身体に変えられた妹を連れ出そうとする男の物語だった。昭和40年に高まったアングラ劇団ブームの中で天井桟敷などとともに既存の演劇と一線を画した表現に挑んでいった。唐さんの戯曲は難解なだけでなく笑いも組み込まれているのが特徴だった。根津甚八ら劇団員を引き連れて出演した「黄金の日日」も好調で、さらに多くのファンが紅テントには集まった。その一方で、多くのファンが押し寄せた時代については話の筋を見てくれない人が増えてしまったと嘆く様子も見せていた。多くの役者が状況劇場を去る中、1988年には状況劇場を解散させることとなった。唐さんはバブルの時代を迎えると客層の変化をより感じるようになり、舞台は文化の一単位でしか無いという雰囲気の客に困惑したと振り返った。新たに旗揚げした劇団唐組の「電子城-背中だけの騎士」は高校教師が失踪した教え子をゲームの中に探しに行く物語で、ロールプレイングゲームの流行に触発された作品となっている。横浜国立大学では教鞭を揮ったが、これは同時に若者の感性を血のように吸うという目的もあったという。60歳を過ぎても創作意欲は衰えず、2003年には諫早湾の干拓を題材とした「泥人魚」が鶴屋南北戯曲賞などを受賞するなどし、84年の生涯に発表した戯曲は100本を超えていた。唐さんは「自分の正体が分からないからあの手この手でいろんな手を打って そして その中に自分らしさが見えてくると 「ああ」って なんとかクリアしたような気持ちになったりする」と話し、表に出すことをやらないと窒息すると表現について話す様子を見せていた。
著名人の生涯を振り返る「NHK映像ファイル あの人に会いたい」は土曜日の午前5時40分から放送される。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月21日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
「雨の慕情」や「舟唄」などのヒット曲で知られる八代亜紀さんは昭和25年現在の熊本県八代市生まれで、ジュリー・ロンドンを知り歌手を目指すようになった。中学卒業後にバスガイドになったが、15歳に地元のキャバレーで初めてステージに立った。その3日後に父が発覚し、猛反対された。プロの歌手になろうと上京し銀座でクラブ歌手になったが、レコードデビューの誘いは断り続けてい[…続きを読む]

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