- 出演者
- 膳場貴子 村瀬健介 上村彩子
オープニング映像&出演者の挨拶。
台風6号の進路予想や週間天気を伝えた。週明け本州にも影響に。
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- 台風6号
福島・伊達市梁川では今季初となる40度を観測した。県内で最も高くなった。
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- 梁川(福島)
マリナーズvs.エンゼルスの一戦。スタメン出場の大谷は9試合連続安打をマーク。4打数1安打1四球で打率は.310。試合は9-7でマリナーズが勝ちエンゼルスは4連敗。
ドジャースvs.パドレスの一戦。先発のダルビッシュは7回無失点の好投。しかしチームは10-5で逆転負けを喫した。
「つなぐ、つながるSP 戦争と子どもたち」の番組宣伝。
東京都心では35.9度を観測。福島・伊達市梁川では今年全国で初の40度を観測するなど危険な暑さが続いている。環境省・気象庁は41都府県に熱中症警戒アラートを発表。東京・銀座では打ち水のイベントが開催されている。
全国各地の天気を伝えた。
78年前の被爆の実相について考える。漫画「はだしのゲン」が広島市の平和教育の教材から削除され別の題材に差し替えられた。被爆者団体などから広島市教育委員会に抗議の声が相次いだ。教育委員会側は削除の経緯について「本来の学習の目標にいくまでに結構な時間を取られる」と話す。一方でこの事が報じられると作品の販売数が急増した。作者の中沢啓治さんは2012年12月に73歳で他界。生涯こだわり続けたのは、被爆の実相をいかに子どもたちに伝えるか。
昭和20年8月6日。当時6歳だった中沢さんは学校の上空でB-29を確認。世界で始めて原子爆弾が投下され、中沢さんは奇跡的に街路樹と塀に原爆の熱線から守られた。再会した母・キミヨさんは被爆のショックで産気づき女児を出産していた。母からは家の下敷きとなり父・姉・弟が亡くなったことを告げられた。1966年に母親が亡くなると、中沢さんは火葬した母の骨が放射能で食い尽くされていたことを確信した。漫画家として原爆を告白するという決意で漫画を描き上げた。1973年6月に「はだしのゲン」の連載が開始された。
平和記念資料館の館長を務めた原田浩さんは中沢と同じ当時6歳で被爆した。父に守られて奇跡的に助かった原田さんの証言を元に高校生らが描いた絵がある。爆心地から1.2キロではその日のうちに50%の人が亡くなり、爆心地に近いと死亡率は80~100%。溢れた遺体は次々と焼かれていった。当時15歳の切明千枝子さんは学校の校庭に穴を堀り犠牲になった友人を火葬した経験を持つ。陸軍出兵の拠点だった旧宇品港。広島にはかつて大本営が置かれ帝国議会も開かれた。発信地であった広島を切明さんは「軍都、加害の町。そのことを忘れて抜きにして原爆の被害を語ることはできない」と振り返る。陸軍被服支廠は被爆を乗り越えた最大級の建物で保存への動きが高まっている。切明さんは軍服を洗濯する仕事に動員された。被爆から1年後の広島の地元紙の見出しにはアメリカ占領下にあった状況が色濃く反映されていた。被爆から21年、市議会は原爆ドームの保存を決意した。
1995年、国際司法裁判所で広島・長崎の両市長が核兵器使用は国際法に違反すると証言したが、日本政府は「市長の発言の中に事実の叙述以外の発言があれば政府の見解ではない」とした。原田さんは広島サミットに同じ風景を見る。被爆地で犠牲者を慰霊する一方で、核による抑止を正当化した。切明さんは戦争に向かっていく当時の空気の再来を恐れている。はだしのゲンの作者・中沢啓治さんの墓石には「人類にとって最高の宝は平和です」と刻まれている。
取材した佐古ディレクターは「はだしのゲンにこそ実相が詰まっている。中沢さんがいかにしてこの作品を生み出したのか、背景や執念も語り継ぐべき実相ではないか」などとコメントした。
岸田総理は広島・東広島市を訪れ先祖の墓参りを行った。広島はあす原爆投下から78日を迎える。岸田総理は市内で開催される平和記念式典に参列する。
アーチェリー世界選手権・イタリアvs.日本の試合。6-2で勝利し日本は14年ぶりの表彰台。さらにパリ五輪の出場権も獲得した。
スコットランドオープン2日目。単独首位スタートの渋野日向子は12アンダーの単独首位で決勝ラウンド進出を決めた。
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スポーツクライミング世界選手権に16歳の安楽宙斗が登場。4課題中、2完登し4位となった。
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「報道特集」の次回予告。来週の特集は…台湾の“元日本兵”たち