チコちゃんに叱られる! (チコちゃんに叱られる!)
なんで伊豆半島は静岡県なのに 伊豆諸島は東京都なの?という質問。町の人に聞いてみると「静岡が無理ですと東京に任せた」などといった声があがった。正解は「島の人達が東京とのつながりを望んだから」。伊豆諸島は最北端の伊豆大島から南に約600km。9つの有人島と、無人島、岩礁など116の島々が連なって出来ている。伊豆諸島は江戸時代、魚や塩を年貢として治めていた。もともと幕府の直轄地だったので東京とのつながりが歴史的にも深かった。明治時代になって伊豆諸島は静岡県の所属になった。江戸時代からのつながりで伊豆諸島からの人の行き来は東京ばかり。船もほとんど東京行きだった。静岡県になることで行政上の手続きはまず、船で東京に行き陸路で静岡まで行っていた可能性が高いという。静岡県の職員も同じだった。そんな状況をしり地域行政を指揮していた大久保利通は、三条実美に上申書を送り東京府になった。伊豆諸島の島民は太平洋戦争後、日本からの独立を検討していたという。1946年、1月29日、GHQは伊豆諸島を行政分離すると発令し伊豆諸島は独立国を目指した。会議の中心となったのが村長の柳瀬善之助さんだった。1946年、3月上旬、大島暫定憲法が完成した。その憲法には大島の統治権は島民にありと記されていた。一方、東京では磯村英一が伊豆諸島を日本に戻そうと奔走していた。磯村は、親しくしていたアメリカ軍の東京都担当中佐を伊豆大島に連れて行った。伊豆大島には軍事施設があると疑われていた。伊豆大島は脅威にならないと説明し、交渉し続けた。1946年、3月22日、GHQは伊豆諸島を日本に復帰させると指令。島の人達は日本に戻れたと大喜びしたという。