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障害のある人に不妊手術を強制した優生保護法。最高裁は憲法違反と認め国に賠償を命じた。原告の飯塚淳子さんは全国ではじめて被害を訴えた。差別や偏見が覆う社会で孤独に訴え続けてきた被害者たち。飯塚さんは手術の後遺症で体の不調に悩まされている。21歳のときに結婚をしたが夫に手術のことを告白すると飯塚さんの元から離れていったという。飯塚さんは、16歳の時に軽度の知的障害を理由に不妊手術を強制された。当初は何をされたのか理解できず両親の会話から、手術を受けさせられた事がわかったという。手術に同意した父が亡くなる直前に送ってきた手紙には当時の状況が記されていたという。民生委員に至急手術するようにと話があり責められてやむなく印鑑を押させられたと書かれていた。
1948年に施行された優生保護法は、障害のある子どもは生まれて来ないほうが良いとする優生思想に基づいて不良な子孫の出生を防止するという明記がされていた。本人の同意なく不妊手術を矯正することを認め、1996年に改正されるまでの半世紀近くで手術をうけさせられたのは全国でおよそ2万5000人にのぼる。宮城県庁に保管された手術記録。宮城県では、全国で二番目に多い1400人あまりが手術を矯正された。障害のある子どもを増やさないことは公益と考えられ各自治体は競うように手術を実施。優生思想の普及のために県内でキャンペーン運動が展開されるなど社会全体が差別を助長していた。三宅光一さんは県が設立した特別支援施設の小松島学園で指導員として働いていた。入所していたのは80人ほどの子どもたちで、多くが不妊手術のために病院に連れて行かれた。1997年から被害を訴えてきた飯塚さんは優生保護法が、母体保護法に改正されたの後も国は不妊手術は適法だったという姿勢を取り続けた。裁判を起こすことを考えるが保存されているはずの記録はないと言われた。また全国にいるはずの被害者たちは沈黙を続け、飯塚さんは置き去りにされたまま時間が過ぎていったという。
2018年に飯塚さんと同じように手術をうけた宮城県の60代の女性が国に損害賠償を求める訴えを起こし事態は急速に動き出した。2019年の5月に仙台地裁で 優生保護法を巡る一審判決が行われ飯塚さんも原告に加わった。そして判決の結果は不当判決に。仙台地裁は優生保護法の違憲性は認めたが、不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという除斥期間を理由に国の賠償責任を否定した。歳月をかけた訴えは、手術から時の経過を理由に退けられた。長期化した裁判は、最高裁での審理が始まった。