マツコの知らない世界 (マツコの知らない吉原遊郭の世界)
最盛期には3000人いた吉原の遊女。厳密な階級社会だったそうで、妓楼は人気などで大見世、中見世、小見世に格付けされた。遊女たちにも階級があり、トップ層の花魁はさらに3層に分かれていた。まず1番上が呼出。大名や武士が客で、三味線から政治情勢まで熟知していたという。その下が遊び代金三分の昼三。さらに下が付廻し。人気は昼三に比べやや劣る。上位2つの呼出と昼三は妓楼から引手茶屋に客を迎えにいくのだが、それが有名な花魁道中。花魁道中の編成は、遊女見習いの禿、禿を卒業した新造、雑用係の若い衆、マネージャーの遣手。それらを従え、300メートルを1時間かけて歩く。引手茶屋に赴いた花魁は客と共に宴を楽しむのだ。花魁道中にかかる費用は現代価格で200万円。遊女の1番下の階級は河岸見世。彼女たちは羅生門河岸という吉原の河端にひしめき合って暮らしていた。二畳の部屋で、線香が燃え尽きるまでの僅かな時間で、現代価格2500円で春を売り続けたという。河岸見世の遊女は、27歳を過ぎた者や器量に恵まれなかったものが落ちていく。その最後も壮絶で、梅毒などの流行り病は避けられなかった。吉原外の違法営業の遊女も多数存在していたそう。新宿や板橋などの宿場には幕府黙認の飯盛り女という遊女がいたり、川べりの船に客を呼び込む船饅頭などがいたりした。華やかだが闇も深かった。