マツコの知らない世界 (マツコの知らない吉原遊郭の世界)
吉原を作ったのは庄司甚右衛門。1603年江戸幕府誕生とともに江戸に華を添えたのが遊女屋。遊女屋は、新興都市の景気を上げると共に、街の治安コントロールにとっても大切な場所だった。そこに目をつけた遊女屋の代表格庄司甚右衛門は、幕府に提案し、幕府公認の色街建設の許可を得る。それが吉原遊郭。人形町あたりではじまり、その後千束に場所を移し、大遊戯場として300年の歴史を刻んだ。広さは東京ドーム1.6個分で、最盛期には3000人の遊女がいた。 遊女の商いに関わる者も含めると、約1万人が生活していたという。遊女のなりては様々で、好んでなる者もいれば、貧しい家族のための者、身売りされてくる者も。幼い子だと7歳から禿という遊女見習いをやっていた。吉原の遊女屋は妓楼と呼ばれ、200軒がひしめき合っていた。