吉田茂 占領下のワンマン宰相

2024年12月5日放送 23:54 - 0:34 NHK総合
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昭和20年8月。東京は空襲で市街地の5割を失っていた。そして40万を超えるアメリカ軍が進駐してきたという。9月になると本格的な占領時代になり、吉田茂が外務大臣に任命された。戦前はイタリアやイギリスの大使を歴任してきたという。吉田茂の重要な役割はGHQとの交渉だ。現場には側近の白洲次郎が置かれたという。その後、憲法での天皇のあり方でGHQと対立したりし、昭和21年には衆議院議員総選挙が行われて、鳩山一郎の指名で吉田茂が首相に就任した。
昭和21年5月22日に吉田内閣が発足した。11月3日には日本国憲法が公布され祝賀イベントも行われて人々は平和な時代の到来を喜んだという。敗戦から4年経過して、吉田茂は敗戦国日本の独立回復に向けて動き出した。そこで日本は西側諸国との単独講和に動くことになり、昭和25年には朝鮮戦争が起きた。そこでアメリカは日本を西側陣営に取り込む必要に迫られた。
昭和26年にサンフランシスコ講和会議が行われた。各国の意見陳述が行われて、吉田茂は直前に日本語の原稿を用意して読んでいった。そして日本は48カ国とサンフランシスコ平和条約に署名した。その後は、日米安全保障条約に調印し、日本は独立を果たした。
日本は独立をしたが吉田茂は政局に追い詰められるようになり、公職追放が解かれた戦前の政治家たちが戻ってきて、吉田茂は国会で醜態をさらすようになった。そして吉田内閣は総辞職することになった。吉田茂は89歳で亡くなり昭和42年10月31日に国葬が行われた。この時代に公布された日本国憲法は現在に至るまで改正に関する議論が続いている。白洲次郎は83歳で亡くなっており、遺言書はわずか2行だったという。吉田茂は晩年に外交について「鼻がきかなきゃだめ」と語ったという。


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