にっぽん百低山 (にっぽん百低山)
今回は長崎県の城山。対馬の中央部・浅茅湾に突き出すようにそびえ、1300年前に城が築かれた。きっかけは唐・新羅の連合軍に大敗した白村江の戦いで、侵攻を恐れ各地に城が作られたが、その最前線が金田城だった。旅のお供は森カンナで、長崎ヴェルカの馬場雄大が夫。今回は全長2.9km,1時間40分の行程。
歩きはじめは車も通れそうな立派な道。脇には岩壁があったが、ダイナマイトで爆破した痕跡があった。浅茅湾の入り組んだ入江は古代から天然の良港として利用されてきた。鎌倉時代には倭寇の住処だったともされる。
巨大な石塁が登場。これが金田城で、白村江の戦い後の667年に造られた。飛鳥時代につくられた城は朝鮮式山城と呼ばれ、白村江の戦いで逃れてきた百済の人たちの指導のもと造られた。周囲を観察すると投石の跡があったが、城にいたのは防人で自給自足の生活をしていた。最近の発掘では、防人は十数人しかいなかったという。元寇でも金田城が使われた形跡はなく、あくまでも魅せるための城だったと考えられる。
城壁より上は足元の悪い険しい道。山頂の手前には砲台の台座を置いたあとがあった。幕末、対馬にロシア帝国軍艦・ポサドニック号が入り、ロシア軍は不法占拠を行った。幕府はイギリス政府に介入を求め、ロシアは撤退。明治に入り、ロシアの南下計画を懸念した伊藤博文と山縣有朋が城山に砲台を設置するを決めた。登山一の広い道は、砲台を運ぶためのものだったと考えられる。
山頂に到着。山頂からは国境の海が見え、うっすらと朝鮮半島がみえた。下山の後はアナゴの刺身とあぶりで乾杯した。