大下容子ワイド!スクランブル (インタビュー 堺正章)
1960年にオープンした老舗イタリアンレストラン「キャンティ」。数多くのスターが愛したこの店で待ち合わせたのはマチャアキの愛称で親しまれるタレント・堺正章さん。厳しい芸能の世界で60年以上の長きにわたりトップを走り続けてきた。歌手として1971年には「さらば恋人」が大ヒット。俳優としても「西遊記」「時間ですよ」など大ヒットドラマに出演し、その後司会業にも挑戦。堺正章さんが初めて「キャンティ」を訪れたのはスパイダースの頃、かまやつひろしさんに連れられてきたという。かつて飯倉「キャンティ」といえば黒澤明、三船敏郎、三島由紀夫など超一流の文化人が集まったイタリアンレストラン。アランドロン、フランクシナトラ、イヴサンローランといった顔ぶれまでお忍びで足を運んだとか。堺さんの当時からのお気に入りメニューはアサリのパスタで「ボンゴレバジリコ」。かまやつひろしさんがここでインタビューをする番組を見てうらやましく思ったという。
ザ・スパイダースで共に活躍し、若き日の堺正章を店に連れてきたというミュージシャン・ムッシュかまやつは、2017年、帰らぬ人になった。堺正章は「苦楽を共に出来た1人かなという意味では、かまやつさんの存在は大きい存在だった」と話した。納棺に立ち会った堺正章は、絞り出すように兄貴分への敬愛の言葉を口にした。ムッシュかまやつ「お別れの会」では、ザ・スパイダース再結成ライブが行われた。都内、元ザ・スパイダース・井上順の映像。
これまで芸能活動で一番影響を受けた人について、堺正章は「ザ・スパイダースのリーダー・田邊さんは、どういう方向に行ったらいいかなど、非常に懇切丁寧に教えてくれた人。ダメな時はダメということを、ハッキリ言ってくれた人」と話した。ドラマー兼リーダーとしてザ・スパイダースを引っ張った田邊昭知は、16歳で芸能界に入った堺正章にとって、父親のような存在でもあった。田邊昭知はザ・スパイダースが解散した1970年以降、表舞台から退き、マネジメントの仕事に専念した。
「ミスターかくし芸」と呼ばれ、毎年神がかり的な超絶技巧を披露していた堺正章。「芸」に関しては、一切の妥協を許さないこだわりがあるという。堺正章は「その人のキャラクターが売れるというのは、一時はある。楽屋も面白いし、本番も面白い。それは芸ではなく、その人のキャラクター。キャラクターはそんなに変えられない。でも芸は次から次へと、いろいろなものに変えていける魔力を持っている。芸を磨いていないと結局は、一時の打ち上げ花火のようにして終わってしまう」と話した。
これまでのキャリアを振り返り、芸への思いを書き綴った堺正章のエッセイが、このほど出版された。タイトルは「最高の二番手」(飛鳥新社刊)。堺正章の父は名脇役、コメディアンとして活躍した俳優・堺駿二。出しゃばらず、役回りを淡々とこなすその背中を見て、若い頃は反発したこともあった。堺正章は「前でやっている人たちを、後ろで笑顔で見ている父親というのを、ある時から『これすごいスマートだな』と。人に任せるところは任せている。何かしら『1番手になった』と自覚した途端に落ちていく。ここからまた登る山があるというのは、自分の中での励み」と話した。「最高の二番手」こそが、一番長くその場にいられる。父の背中が、堺正章をこの極意に導いたという。
堺正章のもう一つの「こだわり」を、自宅で発見。堺正章が仕事、家庭に次いで、第三の場所と位置づける趣味の世界「クラシックカー」。