神田伯山の これがわが社の黒歴史 神田伯山の これがわが社の黒歴史
今回は「UHA味覚糖」。従業員数は約530人。アメ・グミの国内社で2位を誇る。これまで数千種類の商品を手掛けてきた。年商は350億円にのぼる。50年以上愛される昔ながらのアメこそが会社の原点。創業は1949年、アメ専用メーカーとして大阪で開業した。支えてきたのが大阪のアメちゃん文化。今回の主人公は谷克宣。社長が意識したのはライバル企業。御題チェーンの看板商品だった。ママの味で知られるミルクキャンデー。80年代には年間50億円以上も記録する業界の絶対王者だった。谷さんたちは挑戦を求められた。
社長の期待を背負いミルクキャンデーの開発が始まったのは昭和の終わりのことだった。巻き込まれたのは谷の後輩・小坂井伸生さん。会社の味覚を司る下利き。小坂井さんがレシピを考案。試作品を作り始め完成するも、求められたのはほぼ同じ味でお手頃価格のママの味。半年後、コストを削減し味を近づけることに成功した。つづなる課題は商品名。社長の鶴の一声で商品名はおちちキャンディー。下ネタにも受け取れるギリギリ感にドン引きの谷さんだったがトップの圧力には勝てず決定。子供向けパッケージに完成したおちちキャンディー。テストマーケットでは受けれた。もうひとつ問題が和菓子店が商標登録していたこと。交渉したは山下章五さん。
次なる一手はテレビCM。ギリギリの路線で世間の話題をかっさらう広告を提案され社長が気に入る。森脇健児さんがおちちを撫で回すだけのCMとなった。平成元年11月、全国放送を迎えた。会社にはCMをみた主婦・女性たちから批判が殺到した。背景には女性の社会進出が進む中で起きていた時代の変化。「セクシャルハラスメント」という言葉が登場し社会問題として認知サれ始めていた。時代の空気を読むことなくインパクト重視に振り切ったおちちキャンディーは女性たちの神経を逆なでした。CMは1カ月で終えたものの騒動は収まらず会社の全ての商品が撤去される不買運動に発展した。おちちキャンディーは細々と売られ平成11年に製造販売が中止に。谷さんたち3人が求めたのは本物志向。濃いミルクキャンデーを開発し、教訓を活かしCMをうたず営業力・口コミだけで販路を拡大。トップブランドへ成長させた。さらに宇宙食にも認められ飛行士たちの営業に貢献。彼らにとって黒歴史とは「組織のあり方を今一度気づかせてくれたお灸みたいな」「ブランドスイッチするためには感動がいる」などと語った。