新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還
1981年、アメリカNASAはスペースシャトル「コロンビア」を打ち上げた。人を乗せたシャトルで宇宙と地球を飛行機のように往復する。そのころ日本は無人の小型ロケットを打ち上げていた。皆が沸き立つ中一人笑顔になりきれない男がいた。JAXAの前身、宇宙科学研究所の川口淳一郎はNASAとの差が悔しかった。日本が存在感を示すすべを必死で考えた川口。NASAに合同勉強会を持ちかけある計画「小惑星ランデブー」をプレゼン。小惑星とは長さが数十メートルから数百キロの小さな天体。その多くが火星と木星の間に散らばっている。この小惑星と同じ軌道を飛行し速度を合わせ接近、映像や電波で観測する。小惑星では重力が小さいため探査機のコントロールが難しい。技術を一緒に開発しようと持ちかけた。しかし8回目の勉強会で予想だにしない言葉「小惑星ランデブーはNASAだけでやる」と言われた。アイデアが取られたと思った川口。予算が10倍以上のNASAに「それならわれわれはサンプルリターンをやります」と啖呵を切った。小惑星に着陸しその砂を採取して地球に持ち帰る。ランデブーよりもはるかに難易度の高い計画だった。NASAは日本にできるはずはないと思っていた。
人と同じことはしたくない川口。あまのじゃくな性格は筋金入りだった。生まれ育ったのは青森・弘前市。中学時代の化学実験では決められた手順で行うのを嫌い独自のやり方をして危険な目に遭った。高校時代の体育の授業でも周囲をざわつかせた。NASAで啖呵を切った川口は日本に帰るとメンバーを集めて検討を始めた。一番の難題はエンジンだと思った。3億キロかなたの小惑星にたどりつき帰ってくるのには少なくとも4年はかかる。従来の化学エンジンとは異なる燃費のよいエンジンが必要だった。難題解決のキーマンとなったのはエンジン開発・國中均。ある新しいエンジン「イオンエンジン」を研究していた。燃料から生成したプラスイオンに電圧をかけマイナス電子とあわせて放出することで探査機を飛ばす。燃費は従来のエンジンよりも10倍よかった。しかしイオンエンジンはまだ宇宙での長旅に使えるレベルではなかった。
1996年、国から正式に予算がおり小惑星サンプルリターンプロジェクトがスタート。エンジンや通信技術など30の専門領域に民間企業含め500人以上が参加することになった。リーダーの川口はエンジンのチームに小惑星との往復の目安となる1万4000時間の耐久性を求めが國中たちはまだ150時間しか達成していなかった。エンジンチームに加入したNECの技術者、堀内康男は「正直キツイなと思った」などと話した。國中は研究室に泊まり込んで解決策を探った。問題は150時間を超えるとマイナスの電子を発生させる機器の内部が溶け始めることだった。部品の形や配置を変え試行錯誤を重ね、設計変更は10度にも及んだ。ついに内部が溶けない構造を見つけ出した。國中は1000時間毎に1枚のシールを貼っていった。耐久試験の日、川口の要求を超える1万8000時間を達成。NASAに啖呵を切った日から11年、日本の科学技術の威信をかけた小惑星探査機が完成した。