戦時下に水泳続けた五輪選手

2024年8月13日放送 22:28 - 22:33 テレビ朝日
報道ステーション (ニュース)

戦争は選手だけでなくスポーツそのものを変えていく。1941年10月の明治神宮競技大会で選手たちは銃を担ぎ、障害物を乗り越え順位を競った。また戦場で溺れることは許されないと水泳は兵士の重要な訓練で訓練の指導役を任された五輪選手だった。慶應義塾大学の学生だった児島泰彦さんは日本選手権で何度も優勝、ベルリン五輪では6位入賞した。おいの正雄さんは児島さんが大学時代に練習の記録をつけていた日記を受け継いだ。当時の世界トップレベルのタイムが綴られていた。戦時中も泳ぐことを諦めなかった理由は「もう一度オリンピックへ」と願っていたという。1944年児島さんは地上戦があった沖縄に送られたが戦友に「泳いで奄美まで行けばしめたものだ」などと話していた。アスリートがスポーツをすることを許されなかった時代、「戦没オリンピアン」と呼ばれる戦争で亡くなった五輪選手は38人が確認されている。


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