安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡− (安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−)
知名度を上げた安全地帯は札幌のラジオにも出演した。そんな中、一芳さんがバンドを脱退し新たなドラムとして大平が加入した。この時大平はドラム未経験だった。安全地帯に迫る実力を持っていたバンドの六土開正、矢萩渉、田中裕二を誘って安全地帯は8人の大世帯グループとなった。8人は地元の仲間だけで作る音楽を目指した。1977年に中古の農機具小屋の改装を始め、1978年に音楽スタジオ「ミュージカル ファーマーズ プロダクション」が完成した。完成日の夜メンバーと揉めた玉置は鼻の骨を骨折し、しばらく練習に参加できなかった。メンバーはまずバイトをし、金が貯まったら2か月に1度のコンサートに向けて練習した。合宿中も土日は家に帰っていた。チケットやチラシを手作りし、旭川市公会堂でコンサートを開催した。