安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡− (安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−)
78年7月にヤマハ主催のロックコンテストでグランプリを獲得したが、11月に宮下さんと田中が脱退。六土がキーボードからベースに転向した。6人はデモテープ作りに打ち込み、レコード会社の視察も来るようになった。79年11月に武沢豊は交通事故に遭って長期入院。事故から半年後には六土も病気で長期入院することになった。メンバーは4人になり、2か月に1度のコンサートも中止せざるを得なくなった。コンサートができない分デモテープ作りが加速した。俊也さんが詞、玉置が曲を作るようになった。デビュー曲「萌黄色のスナップ
」はこの頃に制作した。