香港 百年のカオス

2024年6月27日放送 23:57 - 0:37 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀バタフライエフェクト)

100年前の香港のペニンシュラホテルでの映像が流れた。イギリスの香港統治はアヘン戦争後から始まった。香港の大部分は中国からの租借地という扱いで期限を1997年までとされていた。その後は世界大戦や中華人民共和国の建国などによって大きな影響は受けた。中華人民共和国の建国によって中国国内から香港に人が流れるようになって、人口は4倍に膨れ上がったという。
この頃、香港映画会で活躍する一人の少年がいた。それは後の映画スターであるブルース・リーだ。幼い頃から名子役として活躍しており、そうした中でブルース・リーはイップ・マンからカンフーを学んだ。1962年には香港へ難民が押し寄せる出来事があり、その中にはのちの実業家のジミー・ライも含まれていた。こうした不法難民は九龍城塞という魔窟で暮らしており、そこは治外法権のようになっていたと伝えた。
1967年になると毛沢東の商品や肖像画が出現するようになった。この頃、中国では毛沢東が、資本主義を掲げる党幹部の打倒を叫び文化大革命が始まっていた。香港でもこの動きに呼応して親中派による六七暴動が起きた。そうした中でブルース・リーはアメリカに渡り、ドラマに出演し、香港の映画にも出演してヒットさせ香港最大のスターになった。ただブルース・リーは32歳の若さで急死した。この時期に香港は急速に経済的に成長し、エリザベス女王も訪れたという。一方で犯罪も多くなったという。
1982年。イギリスのマーガレット・サッチャーが香港返還交渉のために中国のトウ小平と会談した。そこで一国二制度を2047年まで維持することが決まった。この頃になると中国系起業家が台頭するようになり、その中にはジミー・ライも含まれていた。1989年には天安門事件が起こり、少なくとも300人以上が亡くなったという。この事件は香港の人に大きな衝撃を与えたという。そのため香港から海外に移住する人が増えたという。
ジミー・ライはそんな香港にあえて残り、中国に対峙することにしたという。ジミー・ライはメディアへも進出することになり、中国政府と対立姿勢を鮮明にした。そして1997年に香港は中国に返還された。その後は一国二制度を行うという約束だったが、中国政府は民主化を排除する動きをして約束を守らなかった。そして2020年にジミー・ライはついに逮捕された。ジミー・ライは現在も裁判で戦いを続けている。


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