高度成長 やがて悲しき奇跡かな

2025年9月8日放送 22:04 - 22:44 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト (映像の世紀 バタフライエフェクト)

日本の復興は隣国でおきた朝鮮戦争によって早まった。戦後の混乱から立ち上がろうとする日本で、朝鮮戦争による特需があり設備投資がブームになった。昭和30年代になると日本経済は成長率8%を超えるようになり、高度成長の幕開けになった。都市部の賃金は上昇し、多くの若者は都会に吸い寄せられた。人が増えることによる弊害もあり、交通戦争やゴミ問題、火災が深刻になった。
1959年に東京オリンピックの開催が決まった。5年後の開催に向けて東京の大改造が始まった。池田勇人内閣は所得倍増計画を掲げて減税や金利の引き下げなどの政策を出していった。首都高速道路や代々木体育館の建設も開始され、この頃建材にアスベストが利用される様になったという。
1964年に東京オリンピックが始まった。オリンピックでは女子バレーが活躍し、ドキュメンタリー映画「挑戦」で監督の大松博文の指導の様子が伝えられた。昭和40年になると日本は深刻な不況になった。ただアメリカがベトナム戦争に加入したことによって、特需が起こり日本経済は息を吹き返した。1968年になると日本は世界第位の経済大国になった。この頃に専業主婦という言葉が広がったという。
この頃になると経済成長のほころびも現れてきた。また1970年になると日本万国博覧会が開催された。ここで岡本太郎の太陽の塔が話題になった。万博が終わると水俣病が問題になり、高度経済成長への疑問もでてきたという。この頃に働くことを拒否する若者が出るようになり、失踪や蒸発する人も出てきた。また地方からの若者の流入も減ってきて人手不足という状況になっていった。そして1973年に高度成長は終わった。
その後、日本は安定成長を続けて1986年にはバブル景気になった。昭和60年代になると、これまで日本社会が見過ごしてきた問題に目を向けるようになった。そこでアスベストや過労死、セクシャルハラスメントなどが話題になった。そして激動の昭和は幕を閉じた。


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