- 出演者
- 千原ジュニア(千原兄弟) ケンドーコバヤシ 出井隼之介(ヤーレンズ) 楢原真樹(ヤーレンズ)
オープニング映像。
今年の正月もバナナマン日村とのハワイ旅行に行ってきたというケンコバ。この旅行では毎年日村がとんでもない爆食をするのが常となっているが、今年の食べっぷりも凄まじかった様子。ある日の夕食はモチ6個入りの雑煮と巨大なお好み焼で、ケンコバはその時点で満腹になったが日村はその直後からバーベキューを開始。大量の野菜と肉、ウインナーを食べた後でその日は解散となったが、日村はその後に「お腹が空いて眠れないから」と丼飯2杯とどん兵衛を食べていたらしい。さらに翌日、出川とロッチ中岡を伴ってステーキハウスに行ったという日村一行。日村は巨大なステーキを2枚注文した後、「肉を食べるとお腹がすく」と大量のガーリックシュリンプを注文。それを平らげた後にホテルの部屋に戻った一行は「お腹が空いたから」という日村の提案でラーメン8人前を一緒に食べる羽目に。さらに日村はその後に大量のうどんを1人で食べ、寝る前にはポテチをいただいたという。この一連の爆食にケンコバは驚きよりも恐怖の感情を抱いたらしい。
今回のゲストは昨年のM-1で2位になったヤーレンズ。現在は愉快な芸風のヤーレンズだが、かつてはトガっていたため劇場の嫌われ者だったという。そんな2人だが、出井はケンコバに憧れてお笑いの道を志したという経歴の持ち主。一方、楢原は藤井隆に憧れていたものの、特に芸人になるつもりはなかったという。NSCに入学したのも大学受験に失敗した当時に母親から「NSCに行きなさい」と言われたのがきっかけで、軽いノリで入ってしまったために周囲のギラついた同級生に馴染めず鬱屈とした日々を送る羽目に。吉本時代のトガりはそんな鬱屈とした気持ちの表れだったらしい。
出井は楢原の1期下で、NSC時代にはジュニアから授業を受けたことも。出井が最も鮮明に覚えているのは、レザージャケットとニット帽を着用したジュニアが肩を揺らしながら教室に入り、椅子に座るなり「サブいなぁ。今から新しいお笑い作ろう言うてる教室がサブいて!」と言っていたことだという。また、NSC時代の出井は授業でケンコバのネタを見たことも。当時のケンコバは舞台上ではひたすら下ネタを飛ばし、NSC生へのアドバイスを求められても終始ボケ倒すなどトガッた振る舞いをしていたが、最後の最後にNSC生に向けて「やりたいことやったらええねん」とだけ言い残して舞台を去っていったらしい。
ケンコバやジュニア世代の芸人に憧れていたというヤーレンズ。昨年のM-1には2人が憧れていた小籔も参加していたが、3回戦の審査員が小籔の元相方・山田智和であることを発見し「ビリジアンだ!」と大喜びしてしまったらしい。今やベテランの小籔だが、現在も若手に混ざって漫才を披露するなど漫才の勉強を続けている。ケンコバ曰く、小籔が未だにM-1に参加しているのはある番組で若手芸人が「僕たち現役M-1戦士は……」と発言したのに「誰がOBじゃ!」とキレたのが理由らしい。
M-1の誕生秘話が書かれた本「M-1はじめました。」を読んだというジュニア。開催当初は漫才をやる芸人がほとんどおらず、参加者を募集するのも苦労するほどの有様。本には当時のM-1に参加していた中川家やますだおかだ、アメリカザリガニのウケたやり取りも記されていたらしいが、フットボールアワーの後藤はスベった部分だけを克明に描かれていたらしい。
- キーワード
- M-1はじめました。
エンディング映像。
エンディング映像。