- 出演者
- 松嶋菜々子
ロシアによるウクライナ侵攻によって多くの難民が出ており、国内外に避難したウクライナ人は1138万人になる。こうした故郷を追われた人は1億1000万人にもなるという。かつてこうした状況を変えようと戦った人がいる。それは第8代国連難民高等弁務官の緒方貞子だという。今回はそんな彼女を特集する。
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- 緒方貞子
オープニング映像。
運命の分岐点は1991年2月17日。緒方貞子が日本人初の国連難民高等弁務官に着任した日だ。緒方貞子はそれまでは一学者で主婦だったが、その日から世界の紛争地に向かい、人道支援のあり方を根本から作り変えていったという。
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戦争が続くウクライナの現場を訪れる男がいる。それは第11代国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディだ。現場主義で人々に寄り添っており、それは緒方貞子から教えられたことだという。そんなフィリッポ・グランディは部下として緒方貞子とのことを語った。2人の出会いは1991年の湾岸戦争でクルド難民危機が起きた時だ。緒方貞子は自ら危険なクルド難民キャンプを訪れて支援することを決めた。緒方貞子は政治学者から国連公使になり、難民キャンプを訪れ、そこから現場主義が緒方の信念になったという。
1994年のルワンダ難民の時も緒方貞子は現場入りした。ただ難民の中に虐殺に関わった人も大勢いたという。緒方貞子は武装化した難民キャンプに支援物資を配布するべきか悩んだという。さらにコレラも発生した。そうした中で緒方貞子は浄水装置の設置するなど対策を講じた。しかしルワンダ難民の避難先のザイールでも内戦が起こり避難民は散ってしまい、それでも緒方らUNHCRの職員は救出活動を行った。こうしたことからフィリッポ・グランディは現在も現場の声を聞くようにしていると語った。
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- 国際連合難民高等弁務官事務所緒方貞子
1992年から95年にボスニア紛争が起きた。そうした中で現地の人々を救うためにUNHCRサラエボ事務所の職員が最前線に立ち、緒方貞子は職員らを支えたという。当時、緒方貞子の通訳に抜擢されたアミラ・サディコビッチは当時の様子について語った。UNHCRは空輸によって援助物資を届けていたが、輸送機が撃墜されるなど関係者が志望するようになった。そこで緒方貞子は国連安保理で国際社会へ介入を訴え、輸送に関しては現地のトラックドライバーに依頼することにした。また緒方貞子は和平を話し合う国際会議に参加して、対立する3つの民族指導者に支援活動への安全確保を訴えたという。そのことによってボスニア各地へ支援できるようになった。
緒方貞子の活動に影響を受けた黒柳徹子はユニセフ親善大使として、長年世界の恵まれない人たちのために支援してきた。緒方貞子は10年の任期を終えて2000年に国連難民高等弁務官を退任した。しかしその後も緒方貞子はJICA理事長として活動するなど歩みを止めなかった。黒柳徹子と緒方貞子の出会いは、緒方貞子が国連難民高等弁務官になる前からで、ユニセフ親善大使も緒方貞子が黒柳徹子を推薦したのだという。そして黒柳徹子は世界各地の苦しむ子どもたちを訪ねて支援を訴え続けた。緒方貞子は一人ひとりが動き出せた世界を変える一歩につながるという思いがあったと最後に伝えた。
番組の次回予告。