- 出演者
- 桑子真帆
能登半島地震から2週間ほど、いち早く授業を再開した輪島高校。そこには普段と変わらない友人たちとの会話があった。厳しい環境でもたくましく生きる生徒たちには複雑な思いがあった。
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- 令和6年能登半島地震石川県立輪島高等学校
オープニング映像。
石川県立輪島高校、1月半ばに校舎が避難所として使われる中で授業が再開。通っていたのは1割ほど。避難を続ける生徒が多かったためクラスを1つにして授業を行っていた。1年生の横地光さんは授業に身が入らずにいた。光さんが暮らしているのは避難所として使われている小学校。飲食店で働いていた父親は仕事の目処が立っていなかった。この日、家族で自宅にやってきた。壁や床が崩れ、住むことが難しい状況だった。光さんは地震のあとに学校に来なくなったクラスメイトとの写真を持ち帰った。友達にも会えない、家にも帰れない非日常の暮らしがった。避難所に戻ってきたとき、光さんの張り詰めていた思いが溢れた。学校に行きたくないとつぶやく。気持ちを受け止める両親。光さんは通学の回数を減らして通うことにした。3月、避難先から戻ってくる生徒が増え4割ほどになった。光さんの友人も登校するようになった。放課後に避難所で過ごすのが2人の日常になった。友人との時間が増えるにつれて光さんの気持ちも変わっていった。
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輪島高校1年の平田一葉さんは自宅も家族も無事、徐々に日常が戻りつつあった。学校では楽しそうに友人と話す一葉さんだが、心の中では自分と友人との地震の被害を比べてしまうという。自分の被害は小さかったと考える一葉さんにも失ったものがあった。それは、小学2年のころにはじめた野球。地震でグラウンドが使えなくなり活動は中止、仲良かったチームメイトが転校してしまうのではという不安もあった。それから2か月、一葉さんは大きな被害を受けた輪島朝市通りにやってきた。一葉さんは少しずつ気持ちが変わっていき、友達の誘いで被災地で炊き出しなどのボランティアをはじめた。自分が受けた支援を周りの人に返す、抱えている複雑な気持ちが少し柔らぐという。
輪島高校に通う邑田達紀さん。地震のあと、故郷への気持ちが変わった。前より輪島に寄り添いたい、できるだけ近いところにいたい、 輪島が好きなのかと考えるようになった。輪島から転校した久保穂乃佳さんは復興支援の活動を始めた。支えは地震の前にお世話になった地域の人の存在。
川端光太朗さんは地震直後は輪島で車中泊をしていたが、両親と離れて姉のいた金沢に避難してきた。金沢でも輪島の伝統である太鼓を練習し、授業もオンラインで受け続けてきた。長引く避難生活の中で家族への思いが強くなっていったという。輪島に残った両親は簡易住宅で暮らしていた。水道工事会社を営む父親が輪島のインフラ復旧に携わっていたから。3月末、光太朗さんは輪島で暮らすためにもどってきた。光太朗さんは帰ってくるなり、父親の仕事の手伝いをはじめた。学校に通いながら、休みの日は父親のインフラ復興の仕事を手伝う。将来は父親の仕事を継いで、輪島の水道をすべてななおすつもりだという。
富田望生さんには11歳で東日本大震災を経験。能登の高校生たちの姿をみて、何か行動をしようがしまいが生きているだけで偉いよと思いながらVTRを観ていたという。富田さんは当時は友達の支えが大きかった、文通でやり取りをしたりしていたという。それまで積み上げてきた友達との時間が支えになっていたという。希望を持つことがすべてではなく、新たに希望を持つことがなかなかできなかったからこそ、それまでの日常がまたあったらいいなと考えていたという。富田さんは自分のペースで生きていてくれるだけで偉いよと思うと話した。
4月、学校に通いはじめた川端光太朗さん、友達と過ごす日常が戻ってきた。高校2年生になった横地光さん、今も避難所での生活が続いている。平田一葉さんのチームメイトは誰も転校しなかった。皆で野球を再開することができた。
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