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オープニング映像。
山形県鶴岡市出身の金野来くん(21)の実家は洋菓子店。東京・千歳烏山の「ラ・ヴィエイユ・フランス」で修行を始めた。オーナーシェフの木村成克さん(60)はスイーツ界の重鎮。ケーキや焼菓子を常時100種類以上取り揃える。業務用加工素材はほとんど使わず、材料は全て手作り。木村は24歳で渡仏し、いくつもの名門パティスリーで11年修行した。入店から半年が経った頃、仕上げまで時間に余裕のあるケーキを任されたが、先輩から生クリームをきれいに塗れていないと指摘され、実力の無さを痛感した。
休日に中学の同級生と都内で飲み会があった。地元に帰るか、埼玉で就職・教員になるか悩んでると話す人がいた。来くんは当分の間はないけど、最終的には戻りたいと語った。来くんの実家「パティスリー ル・メランジュ」は15年前に父・文隆さんが始めた洋菓子店。父は地元の菓子会社で22年働いた後、自分の店を持った。本棚にはたくさんの本があり、木村シェフの本もあった。東京でやりたい思いがあったが、文隆さんが若い時は親を残して上京しづらい雰囲気があったという。田舎は時間の感覚が遅く、40歳まで独立できなかったのもそれが原因だと感じているので、子どもには上京を勧めた。
スタッフの中で最も経験豊富な草野孝介さん(30)は頼れる先輩。入社して3年、パティシエ修行は8年目になる。実家は長崎のケーキ屋で来くんと似た境遇だという。長崎に帰って店を継ごうと考えていたが、結婚を考えている彼女は生まれも育ちも東京で長崎へ行きたくないと言ったという。店をとるか、彼女をとるか、人生の転機を迎えていた。草野さんの実家は長崎市内では知らない人はいないという「ボンソアール」。長崎市内に4店舗を展開している。草野さんは父の力になりたいとの思いから彼女との別れを選んだ。進む道が決まった草野さんは以前にも増して仕事に熱が入るようになった。
秋になり、来くんは「2023ジャパン・ケーキショー東京」の会場を訪れた。様々なスイーツがジャンル別に出品される年に1度の大イベント。主催する東京都洋菓子協会の理事を務める木村シェフは外国人シェフと流暢なフランス語で会話していた。パンフレットの表紙は木村の作品だった。会場には木村の店で修行したパティシエもいた。草野さんは長崎から出てきた父・弟と会場を訪れた。会場を訪れる前に草野さんと父親の間では重大な話し合いがあった。彼女と別れることができなかった草野さんは結婚を選び、長崎で待つ父の元へは帰らない決断をした。
「ラ・ヴィエイユ・フランス」の木村シェフは折を見て研修生を迎えている。滋賀県出身の宮澤柊成さん(20)は知人の紹介でやって来た。一から手作りしているこの店でずっと働きたいと語った。来る人もいれば、去る人もいる。最も忙しくなるクリスマス直前に辞めたスタッフがいた。木村によると、忙しくなる時期に辞める人がいるのは自分の店だけでなく、他の店でもよくあることだという。来くんが気になった取材スタッフは久しぶりに彼のアパートを訪れてじっくり話を聞いた。相変わらずマイペースで職場への不満はなさそうだった。迷惑をかけたくないと語った。2023年のクリスマスはケーキを600作ることになった。そんな中、ケーキをカットした来くんは、大きさが全然違う失敗をやらかしてしまった。
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去年のクリスマスイブ、「ラ・ヴィエイユ・フランス」には予約したケーキを受け取る客の長い行列ができていた。ショウケースには普段通りのケーキも並べるため、研修生も現場に駆り出された。金野来さんの実家の洋菓子店「ル・メランジュ」も大忙しだった。父・文隆さんは夜通しケーキ作りに追われた。
年が明け2024年となった。草野孝介さんの父・一夫さんが息子への思いを語ってくれた。孝介さんは芯が強く、人前で泣くことはなかったが、彼女と別れたと報告した時は泣いていたと明かした。絶対に戻ってくるなというわけではないが、彼女と一緒に東京でやるなら、いずれ戻るという中途半端な考えはしないで覚悟を決めてやってほしい。子どもの幸せを願わん親はいないと語った。
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- 長崎市(長崎)
2024年1月、「ラ・ヴィエイユ・フランス」の木村シェフは61歳の誕生日を迎えた。スタッフたちはサプライズでお寿司のケーキを作ってお祝いした。お米は金野来くんの実家から送られたものだった。一番高いという日本酒もプレゼントした。正社員の1人が3月で辞めることになった。来くんが仕事を覚えなきゃいけないと前向きだった。草野さんは彼女の両親に会って結婚の了承をもらったと父親に報告した。来くんは休日を利用してスイーツファンに評判の店を訪れた。来くんの修行は今も続いている。
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