- 出演者
- 中居正広 笑福亭鶴瓶 杉原凜 川田裕美 羽鳥慎一 葵わかな 吉村崇(平成ノブシコブシ) 山崎怜奈
1997年8月6日の深夜、グアム島の国際空港近くの山にジャンボ機が墜落。死者228人の大惨事となった大韓航空機801便墜落事故。生存者26人の中にはまだ日本人の少女がいた。事故では何が起きていたのか。墜落までのコックピットでのやり取り、ブラックボックスの詳細なデータ、事故調査報告書や関係者への取材を基に再現する。
ゲストを紹介した。
パク機長は大韓航空の優勝なパイロットで数々の功績を残しており、かつて韓国軍のパイロットとしても活躍し飛行実績も豊富だった。事故当日の1997年 8月5日の2日前、パク機長は天候不良のため日帰り予定が香港に泊まりになった。予定通りであれば翌日は休暇で1日あけてドバイ行きの便に乗るはずだった。事故前日、翌日のドバイ行きの便に休憩時間を確保できず遅い出発時間のグアム行きに変更になった。出発当日は昼寝をして夕方に金浦空港へ。副操縦士も空軍上がりでパク機長の2歳年下のベテラン。機関士は50代後半の超ベテランで当時のコックピットは3人体制だった。夏休みシーズンで多くの乗客を乗せるためグアム行きはジャンボ機に変更されていた。グアム空港は滑走路手前5kmに高さ約200mの山があり注意が必要だった。
広告デザイン会社で働くイ・ジョンファンは仕事で活躍したご褒美にハワイへの旅行券を贈られた。韓国では海外自由が認められ急速に海外旅行が伸びていた。イ・ジョンファンは家族みんなで行くために7名みんなで行けるグアムに行先を変更した。広告代理店で働くソン・ユンホは初めての海外旅行。搭乗直前に友人と並びの座席に変更した。大韓航空801便は午後8時53分(韓国時間)に乗客・乗員254人を乗せて金浦空港から離陸した。グアムには約4時間のフライトで午前2時頃に到着予定だった。グアム国際空港には飛行機の離着陸を誘導する場所が2か所。グアムに来る飛行機は1日約50便。
勘違いしていたことについてトーク。葵わかなはナレーションの仕事をするなかで、言葉のイントネーションの勘違いが多いと最近感じていると話した。吉村は家でピアノを弾いているときにピアノに女性の顔が反射していて、振り返るとスタバの紙袋だったと話した。
乗客237人を乗せた大韓航空801便はグアム国際空港に向けて離陸。午前2時頃到着予定だった。この日は台風11号が北上して沖縄に接近しており、飛行機は高度を上げて飛行していた。ソン・ユンホは友人と横並びの席を離れ、横になれる席を見つけて移動した。
飛行機でのトラブルについてスタジオでトーク。川田裕美は2週間前にグアムに旅行に行ったが、台風を迂回してのフライトだったので揺れたと話した。
- キーワード
- グアム
台風11号を避けるために高度を上げて飛行。高度4万1000ft上空を飛行中に機体が激しく揺れ始めた。機長は右に旋回して積乱雲を避けた。午前1時05分(グアム時間)にグアムまで約100km地点に。ここでレーダー管制所と最初の交信を行い、着陸に向け高度を下げるよう指示が出た。コックピットでは着陸に関する打ち合わせを行い、滑走路や建物などを目でみて着陸するビジュアルアプローチで着陸することを確認。ビジュアルアプローチは気候条件で難易度が増すが、機長は天気情報を確認していなかったと思われる。ILSという滑走路近くから発せられる2つの電波を使って着陸するシステムを使うが、グアム空港の距離測定器は山の上にあり、また滑走路への進入角度を示すグライドスロープが修理中で止められていた。そのため機長が滑走路までの距離をもとに適切な高度を判断する。
飛行機でのトラブルについてスタジオでトーク。羽鳥慎一はバンクーバー五輪の時に国分太一と同じ飛行機になり、一緒にワインを飲んだが時差を考えておらず到着してすぐに「ズームイン!!」の中継を行ったと話した。山崎怜奈は初めてのヨーロッパへの一人旅で、こちらも時差を忘れて航空券をとってしまい、空港から直接仕事に行くことになったと話した。葵わかなはトランジットでの失敗体験を話した。
ハイシーズンのこの時、機長はかなりハードなスケジュールをこなしており体調を崩していた。機長は病院で気管支炎と診断され薬を処方されており、会社に報告しなければならなかったが報告していなかった。
ジャンボ機は事故の29分前、着陸に向けて降下を始めていた。その頃、グアムの消防署では雨で結露するのを防ぐため消防車のタイヤを外していた。事故20分前、ここでようやく機長は天気情報を確認したと思われる。打ち合わせになかった進路をとり、積乱雲を避けて高度を下げていった。視界が悪くなり、目視から計器データに頼る操縦になっていく。さらに進入角度のナビ・グライドスロープが使えない状況。機長は高度を段階的に下げていくステップダウン方式を試みるが、このことを他のクルーに伝えていなかった。高度を下げ水平飛行していると使えないはずのグライドスロープの電波をキャッチ。管制官はグライドスロープが使えないことを伝えたが、コックピットは滑走路に関しての返事しかしなかった。
- キーワード
- グアムチャック・サンチェス大韓航空
着陸に向け降下を始めたジャンボ機。機長は積乱雲を避けるためにステップダウン方式でアプローチ。しかし、使用できないはずの飛行機の進入角度をナビするグライドスロープの電波を受信。この現象はなんらかの電波のよって誤作動したことも考えられたが、いまだに原因はわかっていないという。機長は頭の中の計算とグライドスロープの表示が違うことでさらに混乱していったと思われる。滑走路まで約14kmでレーダー管制官は、目視で誘導するタワー管制塔に引き継いだ。事故の1分44秒前、さらに視界が悪くなる中で着陸の最終段階へ。滑走路の約9km手前に近づくまで高度を約600mより下げない決まりがあったが、機長は降下を続けた。使えないと言われていたグライドスロープの計器が幾度となく動いたことが原因だった。機長は滑走路との距離計測器であるDMEが山の上に設置されていて、計器の表示とズレがあることが頭から抜けていたと思われる。
スタジオでグアム国際空港周辺の地形を用いて、大韓航空機がどんな進入を試みたかを解説した。積乱雲を避けて左に90度旋回、横の位置をナビするローカライザーを受信。視界がほぼなく、重なるアクシデントで滑走路までの距離の目安になるDMEの設置位置によるプラス5kmをおそらく忘れてしまったと思われるという。
レーダー管制所では次々くる飛行機への指示で801便が滑走路の手前で規定より降下していることに気づかなかった。さらに、当時グアムの管制塔は最低安全高度警報システムを使用していなかった。誤った警報アラームが頻発し作業の妨げになることからアメリカ連邦航空局が例外的な判断で意図的に無効にしていたという。滑走路の位置を勘違いしたとみられる機長は降下を続けた。急降下の警告音が鳴るが、滑走路があると思っていたのか副操縦士が着陸を止めるが着陸に入ろうとする機長。事故3秒前、もう一度着陸のやり直しを訴える声に急上昇しようとするが間に合わなかった。午前1時42分26秒(グアム時間)、801便は滑走路5km手前の山に激突した。
警報装置を切っていた管制塔はすぐに墜落には気づかなかった。墜落から8分、山で狩猟をしていた住民が火事を通報しタワー管制塔に連絡があり墜落に気づいた。友人とグアム旅行に来たソン・ユンホはイスごと飛行機の外に吹き飛ばされて助かり、高台に逃げると他の助かった人たちがいた。
グアムの山に墜落したジャンボ機。奇跡的に助かった乗客もいたが機体は炎に包まれた。友人とグアム旅行に来ていたソン・ユンホが高台に逃げると他にも助かった人たちがいて、友人のヨンホもいたが倒れていてしきりに寒さを訴えている。墜落から37分後にようやく救助隊が近くまで来るが、事故の影響で石油のパイプラインが道を塞いでいた。そこに知事も到着し歩いて現場まで向かい、到着したのは墜落から約55分後。日本人の少女が救出され、ソン・ユンホとヨンホも助かった。夜が明けると現場の惨劇が明らかになり、日本でも大きく報じられた。生存者26人、死者228人の大惨事となった。応急処置を受けた生存者は米軍機で韓国の病院へ運ばれた。
- キーワード
- グアムルックルックこんにちは大韓航空
羽鳥慎一は「不運が重なったというところはあるが、防げるところもあった。教訓にするしかない」とコメントした。
生存者は米軍機で韓国の病院に運ばれた。事故直後に救助を行っていたソン・ユンホだが、腰を圧迫骨折し動けなくなっていたが3か月の入院で回復。友人も大きなケガはなく回復した。会社から旅行券をもらい家族7人で旅行に向かったイ・ジョンファンの一家で助かったのはジョンファンの父と妻の父だけ。コックピットの3人は全員死亡した。機長のカバンからは鎮静剤が発見されたが、体内からは薬の成分は検出されなかった。日本人の少女も生還し帰国した。
事故から2年、アメリカの事故調査委員会が調査結果を発表。大韓航空のフライトクルーに対する不十分なトレーニングにより機長が操縦手続きを規定通り行わなかったこと、副操縦士・機関士が機長のミスを的確に判断できなかったとした。そして、グアム空港が最低安全高度警報システムを停止していたことが指摘された。被害者遺族へは大韓航空とアメリカ政府から損害賠償が支払われた。2024年8月6日に天安市で行われた追悼式にイ・ジョンファンさんの兄で遺族会代表のイ・デギョムさんは「事故のない社会になることを願っています」と語った。事故を受け、大韓航空では事前シミュレーション教育の強化、搭乗前の着陸方法チェックが徹底されるようになった。その後、労働組合ができて乗務員の勤務時間も以前より守られている。グアム空港も事故1か月後にはグライドスロープの修復、最低安全高度警報システムが稼働している。