- 出演者
- 中山秀征 潮田玲子 滝菜月 河出奈都美 黒田みゆ 安村直樹 山崎晴太郎 菅原薫 高橋祥子
激ウマ!ズボラおやつ選手権。數原さん考案ズボラおやつは、「サクサク焼きふのコンソメスナック」。使うのは、お麩・粉チーズ大さじ1・オリーブオイル大さじ1・コンソメ小さじ1、香り付けのにんにくチューブ少々。ズボラポイントは、洗い物を減らすためにポリ袋を使う。最初にオリーブオイルを入れる。直接お麩にかけるとムラになるので、ポリ袋の中で伸ばしておく。コンソメ・粉チーズ・にんにくチューブを加え、焼き麩15gを入れて振る。お皿にキッチンシートを敷いた上にお麩を出し、電子レンジ500Wで1分加熱し完成。
春日井製菓に務めている勝又さん。キラキラつぶグミのシュワっとゼリー。一度に大量に作れるという。サイダーを過熱してゼラチンに加える。つぶグミを加える。完成だ。とても美味しい。見た目もすずしい。
鈴木さんが登場。オレオの生チーズケーキ風だ。材料はオレオとギリシャヨーグルト。オレオ3枚。ジッパーつきの袋に入れて砕く。ヨーグルトを加える。袋を揉む。角を切る。絞り出して完成。チーズケーキの味だという。
フィンガーフード教室の講師だという中西さん。世界のパイの実 3種盛り。パイの実に穴を開けてチョコレートを取り出す。具材を詰める。韓国コグマクリーム風を作る。コグマはサツマイモのこと。焼き芋と甘酒をもんで穴に入れて完成。ナッツを手で砕く。はちみつを絡める。穴に入れると中東バクラヴァ風になる。ハチミツを流し込みプリンを乗せるとポルトガルエッグタルト風になる。どれもおいしいという。
ズボラおやつ選手権。栄光の初代No.1はどのレシピ。サクサク焼き麩のコンソメスナック。キラキラつぶグミのシュワっとゼリー。オレオの生チーズケーキ風。世界のパイの実 3種盛り。サクサク焼き麩のコンソメスナックが選ばれた。
スタジオで出演者が「サクサク焼き麩のコンソメスナック」を試食。出演者は「おいしい」などとコメントした。
BTSがアメリカ・ラスベガス公演を4日間にわたり開催。今回のライブにあわせてラスベガスの至る所がBTSのアルバムカラー・赤で彩られた。さらにBTSは日本時間の26日にアメリカン・ミュージック・アワードで最高賞を受賞した。BTSのワールドツアーは来年まで開催予定。
Adoさんの新曲「春に舞う」のMVが公開。切なさと高揚感が同居する爽快でアップテンポな楽曲に合わせた、春の訪れや甘酸っぱい恋心を描いた映像となっている。
幾田りらさんがライブツアーの最終日を韓国で迎えた。映画で共演経験のある上白石萌歌さんと詩羽さんがサプライズで登場した。
明日のZIP!は嵐の名曲を調査。
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映画「キングダム 魂の決戦」の主題歌を米津玄師さんが担当することが発表された。映画のために書き下ろしたという楽曲のタイトルは「夜鷹」。
松田聖子さんが、去年行ったデビュー45周年を祝う全国アリーナツアーの様子を収録した映像作品をリリース。
うなぎが異例の安さになっている。都内のうなぎ店では国産うなぎを丸々一匹使った、純国産鰻丼2200円が毎日日曜日には1400円で提供されている。現在、鰻は豊漁で、稚魚の仕入れ値は高かった頃の8分の1ほどだという。いま、注目のうな丼は最初に誕生した丼といわれる。そこで今週はどんぶりの歴史を大調査する。
日本で最初の丼は、約200年前の江戸時代に販売されるようになった“うな丼”説が濃厚。食文化の歴史研究家の飯野さんによると、中村座という芝居小屋の金主(スポンサー)をしていた大久保今助という人が大のうなぎ好きで、熱々のご飯の中に冷めないように蒲焼を挟んで芝居小屋に届けさせていたという。これが評判となり、芝居の街、日本橋・人形町で売り出されたのがうな丼のルーツとされている。また明治時代になるとうなぎの養殖が始まり、うなぎの流通量が増えた。より多くのうなぎを並べることができる重箱が使われ、見た目も豪華な「うな重」が売り出されるようになったと分析。
明治7~8年ごろに神田鍛冶町にある「仲野」という店で天丼を出すようになった。江戸時代、屋台などで親しまれていた天ぷらは、やがてそばやお茶漬けの具として楽しまれるように。そして明治時代に天丼が神田で売り出されるようになったという。新橋の「橋善」のような店でも天丼を出すようになって全国的に普及するようになったという。1989年には、天丼を当時1杯480円で提供する天丼てんやが八重洲地下街に誕生。人気の理由は安さだけでなく提供スピードにもあった。早さの秘密は、特別に作られたフライヤー。ほとんどのタネが1分30秒で最良の状態で揚がりフライヤーから出てくる。今では約150店舗を展開。
明治17年頃に生まれたのが親子丼。明治時代になると養鶏が盛んになり、高価だった卵が手に入れやすくなり、鶏肉の生産量も増えたことで親子丼誕生の舞台が整ったという。親子丼が確認できる最古の文献は、1884年明治17年9月の朝日新聞に掲載されている神戸元町の飲食店「江戸幸」の広告。ただし、現在の親子丼と同じものだったか定かではなく、馴染みのある親子丼の元祖と言われているのが、日本橋・人形町にある「玉ひで」。1891年ごろ、5代目店主の妻が、軍鶏鍋の残りを卵でとじてご飯nかける客の姿を見て考案したのが元祖親子丼のは自利とされている、。1969年、大阪・茨木市で手作りうどん店として誕生したなか卯が、1944年に親子丼の販売を開始し看板メニューに。物価高が進む中、2023年には親子丼並盛490円が450円に異例の値下げ。
明治20年頃には売り出されている“牛めし”。牛めしを牛丼として全国に広がるきっかけとなった店が、1899年に東京・日本橋で誕生した吉野家。忙しい魚河岸の職人向けに牛丼を提供。その後築地に移転すると1968年以降店舗を拡大。早い・うまい・安いをキャッチフレーズにチェーン化を進め、1978年には200店舗を超えるほどに。しかし19809年7月、急速な店舗展開による資金繰りの悪化やフリーズドライ肉の使用により「味が落ちた」と客離れが進み、約120億円の負債を抱え事実上倒産。しかし翌月にはフリーズドライ肉の使用を即座に中止し、本来の吉野家の味を取り戻して再建セールへ。1983年には当時西武百貨店や西友など日本音流通・サービス業界を牽引していたセゾングループの傘下に入り、当初の計画より前倒しの約7年で債務を完済。V字回復を成し遂げた。吉野家のライバル的存在の松屋も全国へ店舗拡大。元々中華飯店だった松屋は、1968年に江古田で牛めし・焼肉定食店としての松屋に。その当時から牛めしに味噌汁がついていた。松屋のロゴマークは、お盆の上にある牛めしと味噌汁を表している。松屋、吉野家を超え現在店舗数日本一を誇る牛丼チェーン店が「すき家」。カウンター席だけでなくテーブル席を設置することで、ファミリーやカップルなど幅広い客層に対応。チーズやネギ玉など業界初のトッピング牛丼を販売するなど、子どもから大人まで楽しめるメニューを展開し、急速に店舗数を拡大。
大正時代カツ丼が登場。誕生説には2つあると専門家は話す。ソースカツ丼については、現在福井にあるヨーロッパ軒の創業者が大正2年に考案したという説がある。ドイツでの修行から帰国後、東京・早稲田にヨーロッパ軒を創業し、料理発表会でソースカツ丼を初披露。その後福井へ帰郷し、ソースカツ丼を広めたという。卵とじカツ丼については、早稲田の三朝庵というそば屋が考案したと主張している。1918年ごろ、宴会のキャンセルで余ったカツをそばのつゆと卵でとじて提供したのが始まりとされている。
