- 出演者
- 田村淳 宮本真智 高木菜那 大澤ちほ
今回は極寒の地の北海道・別海町のとオリンピックがつなぐ町と選手の結びつきを紹介。
オープニング映像。
ゲストに元オリンピック選手の高木菜那と大澤ちほが紹介された。2人は現役を引退し、緊張感がなくなんでも食べられる状態でオリンピックを迎えられるのが清々しいと答えた。そして今回のオリンピックはイタリアのミラノとコルティナダンペッツォで行われ、8競技116種が実施。中でも日本でメダルが期待されるのはスピードスケート。男女7人が内定している。男子では森重航選手、新濱立也選手が2大会連続出場。1000mと1500mの選手野々村太陽選手とこの3選手は北海道・別海町出身だという。
北海道・別海町は14000人が住んでいて、古くから酪農が盛ん。その牛の頭数は人口の8倍。生乳生産量は日本一を誇る。町の中心部にあるのが1周400mの屋外リンクで憩いの場になっている。リンクは無料で利用可能でスケートを通した地域の交流が生まれている。そこに日本代表の森重航の姿があった。里帰りで滑りに来たと言うが、森重にとっては大切な場所だという。別海町で45年の歴史を持つスケート少年団の白鳥。ここで子どもたちが練習に励んでいる。その創業者は楠瀬功。リンク設立に尽力した人物だという。楠瀬が別海町にやってきたのは今から60年前で、体育教師だった楠瀬は小学校に赴任したが、そこで出会った子どもたちの様子にショックをうけたが、覇気がなかったという。酪農が盛んな別海町は広大な牧草地が広がっていて、家と家の間は1キロ以上離れ、冬は気温マイナス10℃以下の極寒の地。氷と雪に閉ざされて外に出歩く人はほとんどいない。そのために人見知りな性格の人が多かったという。
当時日本は東京オリンピック直後で、スポーツが夢と希望をもたらし高度経済成長に拍車をかけていた時代。極寒の地でも目標を持って取り組めるスポーツはないだろうかと思いついたのがスピードスケートだった。冬になると校庭にリンクをつくり体育の授業が行われていた。楠瀬は放課後など、子どもたちを目標をもって活動できる場所をと考えた。そこで農家や保護者を説得し、空き地にリンクを作らせてもらい練習を行った。子どもたちはどんどん意欲的になっていったという。現在白鳥の監督をしている小村は小学生で何気なく参加したがのめり込んでいったという。練習場の近くで酪農を営んでいた子どもたちの変化に手応えを掴んだ楠瀬は、同時にリンクの大きさに物足りなさを感じていた。大会で使用されるリンクは一周400m。しかし、この時のリンクは200mしかなかったという。楠瀬は役場に何度も足を運び、400mのリンクの設立を訴えた。その熱い思いが結実し1981年に誰もが通える町の中心部に町営のリンクが設立。総工費6000万円をかけた一大プロジェクト。完成と同時に発足したスケート少年団の白鳥は、年々団員数が増加。大会を開けば、近隣の町からも参加者が集まった。
去年12月の夜8時に街の人達が集まっていたがリンク作りを行っていた。専用の散水車がないために牛の搾乳で使う牛乳タンクで水をまく。タンク一回分で貼れる氷は1ミリ程度。それを厚さ5センチになるまで繰り返す必要がある。45年間保護者を中心に町の人たちによって続けられている。こうした苦労が実を結ぶ。リレハンメルオリンピックに白鳥出身の選手が出場したが楠瀬の長女だった。その当時の資料には海外で戦う楠瀬志保から町の人に一通の手紙が届き、育ててくれた町への感謝への想いが綴られていた。楠瀬志保は長野オリンピックにも出場し、この町から5人のオリンピアンが生まれた。
小学3年生の小川航平さんは白鳥の男子最年少。彼の今シーズンの目標は初の1500m出場。この広いリンクをおよそ4周する。技術だけでなく体力も求められる。上級生たちの後を一生懸命についていく。転ばずに完走するのが目標だという。そしてシーズンはじめの決起集会が開かれたが、そこで振る舞われた寿司は弁慶寿司。楠瀬が、子どもたちのために握ったものだという。美味しいものを食べながら仲間意識を持ってほしいという願いがある。小川さんは今シーズンの意気込みを語った。そして第46回 別海町スポーツ協会会長杯距離別競技会がスタート。この競技会はリンクができた頃から続く伝統で、別海町が最も活気づく時期。そこにあの森重航が激励にやってきた。小川さんも男子1500mに臨み、なんとか完走に成功した。航平さんは1500mを完走した感想にやっと終わったと思ったという。またその父もスケートのリンクづくりを行っているというが、極寒の中作らなければいけないのが大変だという。
注目選手を紹介。スキー選手のレジェンドの葛西紀明、岡部孝信を排出した北海道下川町。この町に33年前に設けられた町営の学生寮がある。この場所に国内・海外からジャンプ留学生が集まるという。寮の近くにはジャンプ台があり、この寮で育ったのは二階堂蓮。今年にはワールドカップを初優勝し、オリンピックに向けてはずみをつけた高校留学とともに下川町に留学し、世界で戦う実力を培ってきた。さらに番組で放送したスキーの町の長野県・野沢温泉村からもオリンピック選手が誕生。丸山希は今シーズンにワールドカップで6勝で個人総合順位でトップ争いをしている。雄大な自然が広がり、アルペンやクロスカントリー、ジャンプなど多様な種目をこなせる環境が育っているという。その中で子どもたちは得意種目を見つけて専門性を磨く。丸山は幼少期に自分の強みをジャンプに見出し打ち込んできた。
次にオリンピック初出場を決めた吉村紗也香。女子日本代表のフォルティウスの選手だが夢にみた大舞台でメダル獲得を狙う。そしてアイスホッケーの町の北海道・苫小牧市。今回のオリンピック代表は日本代表の23人中11人が苫小牧市ゆかりの選手だという。苫小牧市はかつて王子製紙が日本リーグで史上初の4連覇を達成するなど、アイスホッケーの町だった。しかしバブル崩壊の影響をうけて全国的に企業チームが休部や廃部となり、一時は観客数が500人を切ったことも。その状況に苫小牧市と市内のチームが協力し、男子チームでは選手をアイドル化するなど若い世代にアプローチ。着実にファンを増やしている。一方女子チームでは、恵まれた練習環境で全国各地から優秀な選手を召集。街を再建しようと取り組んできた。
苫小牧ではアイスホッケー女子日本代表のスマイルジャパンの強化合宿試合が行われた。地元のアイスホッケーファンにとって身近な選手たちが集まる大舞台。子どもたちの応援を肌で感じることは選手たちの大きな励みになっている。苫小牧市内で行われたオリンピック最終予選では町は大きく沸いた。ポーランドを相手に次々とポイントを奪う選手たち。そしてその前田涼風選手と輪島夢叶選手はともに苫小牧出身。所属するチームも道路建設ペリグリン。全日本女子アイスホッケー選手権で歴代最多の21回の優勝をした。そのチームから今回日本選手の代表を6人選出している。
日本代表選手が生まれる理由に、練習に打ち込める環境作りにある。アイスホッケーの町として歴史の古い苫小牧には練習上として使えるリンクは4か所。また車の運転ができない高校生選手の送り迎えのサポートも行っている。苫小牧に移住してくる選手もたくさんいて、その1人のディフェンダーの秋本なな選手は2年前の移住したという。ペリグリンに入社し史上最年少でスマイルジャパンに選ばれた。状況判断と攻撃が持ち味の期待の新星。秋本は苫小牧東高校に通う1年生で苫小牧東高校に移住してきた。夢だった日本代表に入り、オリンピック出場を決めた。町は練習環境を整えているが、アイスホッケーでは氷の硬さがプレーに大きく影響する。スポーツ協会の小西さんは本番のリンクは柔らかいと想定し、50℃以上のお湯をまいて氷の硬さを調整している。原動力はアイスホッケーの町苫小牧のブランド。オリンピックを機に交流の場を生み出そうとする動きも。去年に11月にオープンしたカフェ。オーナーはスマイルジャパンの熱烈なサポーター。アイスホッケーファンが集う交流拠点にしたいという。きっかけは本場フィンランドに応援しに向かった時にリンクの施設にカフェやバーがたくさんあったことだった。スマイルジャパンの合宿にあわせ多くの人が訪れるようになった。スマイルジャパンは地元の高校のアイスホッケー部と対戦。日替わりでその対戦相手を務めている。
エンディング映像。
