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オープニング映像。
スノーボードアルペンの三木つばき選手はおととしの世界選手権で日本選手として初優勝し、昨シーズンのワールドカップでも総合2位に入った。北京五輪では9位だった。ミラノ・コルティナ五輪に向けたプレシーズン、三木選手の前に五輪二連覇のレデツカ選手が立ちはだかった。三木選手は体の使い方を一から見直した新たな滑りに挑戦した。
2月、三木選手はスロベニアを練習拠点にヨーロッパの大会を転戦していた。一般客も使うゲレンデのオープン前2時間余が練習時間だった。三木選手が頂点を目指すスノーボードパラレル大回転は、2人が同時にスタートし旗門が立つコースをどちらが速く滑り切るかを競う。三木選手の強みは旗門のギリギリを攻めるバックサイドターン。
2024年8月、三木選手は実家のある静岡に帰省していた。スノーボード選手だった父・浩二さんの影響で競技を始めた三木選手は、9歳の頃から滑りの感覚などをノートに書き留めてきた。北京五輪では予選で全体3位に入ったが、決勝トーナメントでは相手選手に先に行かれたことで焦りバランスを崩した。三木選手は大学でスポーツ心理学のゼミを受講し、どうすれば相手を気にせず力を発揮できるかを学んでいる。三木選手は、パラレル大回転で五輪二連覇しスキーアルペンでも金メダルを獲得したレデツカ選手に一度も買ったことがなかった。
2024年10月、三木選手はオーストラリアでフロントサイドターンを改良しようとしていた。ターンに入る時のタイミングが遅れて旗門から広がってしまうことが多かった。三木選手は、スピードを緩めないレデツカの直線的な滑りはスノーボードよりも速いスキーの経験が大きいと感じていた。三木選手は動きがよりダイレクトに伝わるようブーツを硬い材質に変更することを決断した。ワールドカップで三木選手は準決勝・決勝で7勝8敗と勝率が5割を下回った。原因は鋭さを欠いたバックサイドターンだった。
世界選手権を1か月後に控えた2月、三木選手はバックサイドターンの不調の原因を探るため合宿に入った。帯同した冨山トレーナーはブーツを変えたことで持っていた強みが失われていると気づいだ。新しいブーツは踏み込まなくても硬さで力を伝えることができるため、知らず知らずのうちに足首を使わない滑りになり足首周りの強さが失われているという。三木選手は足首のトレーニングに励み、3月の世界選手権に臨んだ。決勝に進んだが、レデツカ選手には0.5秒叶わなかず2位だった。
エンディング映像。
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