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琉球ゴールデンキングスの岸本隆一の独特なプレースタイルには沖縄バスケというスピリットが宿る。2年ぶりのリーグ優勝を目指した今シーズンには逆境が待っていた。岸本はチーム最年長の34歳。どうすれば沖縄バスケを次の世代へ繋いでいけるか考え続けた。
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- 岸本隆一沖縄県琉球ゴールデンキングス
2月、琉球ゴールデンキングスはBリーグ西地区首位を走っていた。キングス一筋13年の岸本は、身長1m76cmとバスケットボール選手としては小柄だが、予測しがたいプレーでコートを支配していた。岸本の代名詞は通常のスリーポイントよりも遠くから狙うディープスリー。スリーポイントの成功数はBリーグ史上2人目となる通算900本に到達した。バスケットボールは沖縄で最も人気のあるプロスポーツ。戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄で、琉米親善として基地で暮らす人との試合も盛んに行われた。岸本は沖縄バスケと呼ばれるスピリットを大切にしてきた。沖縄バスケのレジェンド金城さん擁する辺土名高校は、平均身長が1m70cmに満たないにも関わらず、1978年の全国高校総体で3位に輝いた。小柄だった岸本はそんなバスケに憧れ、金城さんが監督を務める高校に進み、プレーに創意工夫をすることを学んだ。
西地区最大のライバルである島根スサノオマジックをホームに迎えたキングス。前回の対戦ではキングスが大敗していた。試合中、岸本は右足をけいれん。プレー時間が伸びたことで足が悲鳴をあげていた。キングスは、大事な首位決戦を落とした。試合後、桶谷ヘッドコーチはバックアップのメンバーのプレーが軽かった、岸本に負担がかかっていると話した。逆境でこそ力を発揮する沖縄バスケだが、今キングスに沖縄出身のスターティングメンバーは岸本1人だけだった。
キングスは2007年に誕生し、当時は沖縄出身者を中心編成されていた。bjリーグに参加すると2年目で初優勝し、2013年に入団した岸本も新人賞を獲得した。2016年にBリーグが発足するとキングスは苦戦を強いられ、9年ぶりのシーズン負け越しとなった。そこでチームは沖縄出身者にこだわらず、全国から選手を集めた。力をつけていったキングスは、2023年に初めて日本一になった。栃木出身で中学生の時に沖縄に移住した佐取龍之介選手は、高校生でキングスのユースチームに入ってキャプテンを務めた。岸本のような選手になりたいと願うようになった。
現役生活の終わりを意識することも多くなった岸本は、沖縄バスケの精神をチームに残すことの大切さを日増しに感じていた。キングスは県内各地でバスケ教室を開いており、岸本は好きなことがあると発見や気づきがでてくると子どもたちに伝えている。リーグ優勝と並ぶもう一つの目標である天皇杯が近づいていた。
天皇杯の決勝には、沖縄からも大勢のファンが駆けつけた。キングスの相手はアルバルク東京。第2クオーター、キングス3点リードの場面でタイムアウトを取り、次のディフェンスが勝負所と睨んだ岸本は、俺がボールを奪いに行くとチームメイトに告げた。岸本の執拗なディフェンスに、相手はファウルをした。岸本は与えられた2本のフリースローを沈めたが、第3クオーターで足がけいれんした。岸本がベンチに下がったあとも、キングスの選手たちは怯むことなく立ち向かった。キングスは天皇杯を勝ち取った。西地区優勝も果たしたが、岸本は試合中に左足を骨折し、日本一はチームメイトに託した。
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