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オープニング映像。
吉冨さくら さんは上京して8年、芸能事務所に所属し様々な活動をしている。耳の聞こえない親から生まれた耳が聞こえるChildren of Deaf Adults=CODA 。さくらさんが広島に帰省すると両親が必ず迎えにきてくれるという。帰省は年に4回ほどで、よく母と二人で買い物に出かけるという。姉二人は、結婚して家を出ているために実家には、親二人が暮らしている。父と母はろう学校の文化祭で出会い結婚。先に生まれた姉二人は耳が聞こえなかった。生まれたさくらさんは耳が聞こえた。6歳の時に初めてミュージカルに参加し小学校を卒業をする時には夢ができたがダンサーになりたいとした。また母はタップダンサーになりたいという夢があった。しかし音が聞こえず踊ることができなかったという。
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俳優として活躍し、高校生になり数々のオーディションに挑戦するが、その結果を聞くのに親が電話で対応する必要があった。今年で結成20年目のHANDSIGNは、歌とダンスに手話を取り入れたパフォーマンスが特徴。ろう者がモデルとなったドラマをみて始めた手話ダンスで、聴覚に障害のある人が沢山あつまるように。吉富さんと彼らと出会ったのは14歳の時。高校2年生の時に芝居を学べる東京の高校に一人で転校することに。HANDSIGNはさくらさんとその母親をモデルにした曲を作ると応援してくれたそうして出来た曲はこの手で奏でるありがとう。
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- この手で奏でるありがとう平塚市(神奈川)
さくらさんは東京にきて日課ができた。家族とのテレビ電話をしているという。上京後はイベントやトークショーに出演している。手話を広めたいと考えSNSで発信している。歌詞を手話で表現しながら踊る手話ダンス。さくらさんは手話ダンス甲子園で審査員に。しかし手話を浸かった仕事に思わぬ壁を感じていたが念願の舞台の仕事が来て耳の聞こえないろう者の役を演じた。しかしSNSに寄せられたのはさくらさんがろう者の役を演じたことに対する批判コメント。今作品は原作者側からろう者の役は本物のろう者が演じることと言われていた。しかし最適な役者が見つからず、耳の聞こえない家族のもとで育ったという理由からさくらさんに声がかかり、原作者側の許可を得て行われた。
さくらさんのもとに家族に耳が聞こえない人がいる仲間に集まった。ろうの世界での悩みには当事者からしたら自分たちの気持ちなどわからないと思う人もいると答えた。中津真美さんは自身もCODAだがその課題はろう者難聴者いるという前提につくられていないということだという。そのためにCODAが通訳する必要があると答えた。中津さんは悩みを持つCODAが悩みなどを言い合える会を開催。さくらさんも過去に参加した。今年両親が楽しみにしているのは東京デフリンピック。世界中から耳が聞こえないアスリートたちが集まる国際大会。今年11月に日本で開催。耳の聞こえない人たちと一緒に踊るというが、HANDSIGNが作るデフリンピックを応援するMVにさくらさんも参加できることになり、そのMVが完成。聞こえる人、ろう者、CODAが一緒になって踊る。
エンディング映像。