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オープニング映像。
今回は両親が満州で開拓団員だった堀川正登さんを特集。中国の東北部のかつての旧満州大日向村に堀川さんが初めて訪れたのは8年前のこと。国策として進められた満豪開拓は全国27万人、長野県からは最多の3万3000人が現中国東北部にわたった。現在の佐久穂町にあった大日向村は全国に先駆けて、村を二分する分村移民として村の半分の700人あまりが渡満した。貧しい小作から、広大な土地の地主になれると堀川さんの父もそんな夢を抱いた1人だった。元開拓団員が当時の村の様子を教えてくれた。原さんは幼少期家族とここで暮らしていたが、その痕跡を探しはじめた。出会ったのは当時をしる現地の女性だったが、そこで話を聞くことができた。しかし堀川さんの家族はどこに住んでいたのかはわからなかったという。
軽井沢に戻った堀川さんは地図で家族のいた場所を探していた。開拓団の子孫たちが家族の家があった場所にたどり着けるように、満州大日向村の住宅地図を作ることにした。父と母は満州ではそれぞれ別の人と結婚し、子供がいた。2人は日本に引き上げて再婚していた。堀川さんは妻と娘と家族3人でカフェを営んでいる。新しい住宅や別荘が立ち並ぶ軽井沢。もともとはカラマツの原生林で、満州大日向から引き揚げてきたものの、元の村に戻ることができなかった開拓団員のうち65世帯165人が切り開いた戦後の開拓地。子供の頃に堀川さんは感じていたことに、大日向は他の場所より貧しいと感じていたという。両親は電気も水道もないなかで粗末な小屋に住んで、この地を開いた。
中国・長春は敗戦直後に大日向開拓団は住む場所をおわれて難民生活を送った。当時開拓団の一員だった坂本幸平さんは、その時の過酷な生活を語っていた。厳しい寒さや飢え、伝染病と、半数の400人近くが死亡した。清之さんは妻と5人の子供と母、タメ子さんは夫と2人の子供を亡くした。2019年には、再び中国東北部へ。堀川さんが企画した満州・大日向村へゆかりのある人と旅をした。4歳から11歳まで家族で満州・大日向村に過ごしていたという市川さん。堀川さんの父が住んでいた場所がわかり、ここで妻と5人の子どもたちと暮らしていた。ただ母が暮らしていた場所はこの時も、見つけることはできなかった。地図作りはカフェの仕事の合間を縫って行われた。一緒に働くのは娘の瑞穂さん。1982年から5回にわたって旧満州・大日向村を訪れてきた市川さんは、現地でなにがあったのかを伝えてきた。そして堀川さんと一緒に旧満州に向かうという。そのために体力づくりをしていたという。今年6月には、軽井沢街・大日向に参加者が集まった。
旧満州大日向村にやってきた堀川さんら。その地図を完成させるために一行は家族が住んでいたあろう場所をまわった。この旅には孫やひ孫9人が参加。地図を道しるべに家族が暮らした場所が次々にわかっていく。堀川さんは母が住んでいた場所を突き止めた。帰国後に軽井沢の公民館で参加者があつまり地図の確認作業をした。 そうして一旦形になったという。さらに堀川さんはその孫に出来上がった地図と満州での家族の生活などを語った。
エンディング映像。