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オープニング映像。
フルート奏者で建築家の畠中秀幸さんは、右半身が麻痺している。左手のフルート奏者として多くの共演の依頼が舞い込んでいる。
フルート奏者の畠中さんは建築家としての顔も持つ。北海道・長沼町の農業用倉庫を改築し、農業と芸術をかけ合わせたアートビレッジを作ろうとしている。小5でフルートを始めると、中学高校と様々なコンクールで優勝した。京都大学工学部に進学し、卒業後は札幌の建築事務所に入り数々の賞を受賞した。音楽家と二足のわらじを履いて多忙を極めていた42歳のときに倒れ、病院に運ばれた。医師には右半身は諦めたほうがいいと告げられた。現在は歩けるまでに回復し、週2回リハビリに通っている。
山田和幸さんは、木製のフルートやピッコロを作る日本でも数少ない職人。畠中さんのために、左手で演奏できるフルートを製作した。フルートに左手用のレバーを作成し、右手で操作する音を左手の小指で出せるようにした。右手は小指を使う以外、フルートを支えるだけ。
畠中さんは世代を超えた音楽活動にも力を入れ、相手が中学生でも真剣に対話する。クラリネット奏者の妻・さおりさんとは高校の吹奏楽部で出会い、26年前に結婚した。6月、沖縄へ慰霊演奏の旅に出た。
畠中さんは6月、沖縄・伊江村へ慰霊演奏の旅に出た。伊江島は米軍による空襲や艦砲射撃などを受け激戦地となり、6日間で約3500人が命を落とした。畠中さんは反戦平和資料館を訪れ、館長の謝花さんに話を聞いた。謝花さんの父は伊江島の戦いで戦死しており、怒りは今の日本の政治にも向いていた。畠中さんは、アート的な解決をすることで理想的な状態を作ることができると信じていると話した。畠中さんたちは、戦争遺構などで演奏を披露した。
7月、畠中さんの夢であるアートビレッジが完成間近となった。農業用倉庫を提供した永野さんは、50歳で脱サラして米や大豆などを自然栽培している。永野さんは畠中さんと同じ夢を追いかけていた。
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8月、畠中さんは15年ぶりに広島の実家を訪れた。祖父は幼い父を連れて爆心地に親戚を探しに行き、被爆した。原爆ドームから300mの場所にある被爆したシダレヤナギの下では、毎年8月6日にアーティストらによる平和を祈る活動が行われている。畠中さんも演奏を披露した。
9月、畠中さんは札幌の学校で命の大切さを伝える特別授業を行った。
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エンディング映像。