- 出演者
- 尾上松也[2代目] 田中裕二(爆笑問題) 太田光(爆笑問題) ウエンツ瑛士 落合博満 八木亜希子 五十嵐亮太 古田敦也 磯山さやか 伊集院光 ビビる大木 那須雄登(ACEes)
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第7位は外野手・新庄剛志。現役時代はゴールデングラブ賞10回、野球以外でもファンを楽しませる「新庄劇場」で人気を集めた。多くのファンにとって印象深いのは、一打サヨナラのチャンスで敬遠球をヒットにしたこと。04年にはサヨナラ満塁ホームランを放つも、喜びのあまり前の走者を追い越してしまいアウトに。
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第6位は内野手・落合博満。1978年にプロ入り、神主がお祓いしている姿に似ていることから名付けられた「神主打法」でプロ野球史上初の3度の三冠王に。87年、プロ野球初の1億円プレーヤーに。ふつう選手自ら年俸を公表しないが、落合は「いちろくご(1億6500万円)」と発言し話題に。93年、当時6歳の息子・福嗣くんと歌を発表。息子は現在、声優として活動。
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第6位は内野手・落合博満。多くのファンにとって印象深いのは中日に所属していた89年の巨人戦。巨人のエース・斎藤雅樹を相手に8回までノーヒットも、ノーヒットノーラン目前の9回裏に逆転サヨナラホームラン。この5年後、長嶋監督のいた巨人へ移籍。勝てばリーグ優勝が決まる94年のリーグ最終戦では先制HRや勝ち越しタイムリーなど活躍し勝利に貢献。監督としても中日を4度のリーグ優勝。
プロ野球総選挙の5位は、日本人メジャーリーガーのパイオニアの野茂英雄。ロサンゼルス・ドジャースが、ワールドシリーズを連覇した。阿波野秀幸が野茂英雄のメジャーリーグ挑戦について、当時は別世界に行った感じだったとコメントした。
野茂英雄は、26歳でメジャーリーグに挑戦した。野茂は1995年にドジャースに入団したが、最初はマイナー契約だった。野茂はジャイアンツ戦でメジャー初登板し、メッツ戦でメジャー初勝利をあげた。野茂は、日本人で初めてメジャーリーグのオールスターゲームに出場した。メジャー2年目の野茂は、クアーズ・フィールドで日本人初のノーヒットノーランを達成した。2001年に野茂は、メジャー2度目のノーヒットノーランを達成した。
プロ野球総選挙の第4位は、松井秀喜。松井は夏の甲子園で、5打席連続敬遠された。松井は巨人に入団し、不動の4番打者として活躍した。巨人・丸選手が、松井秀喜への憧れを語った。2025年のワールドシリーズでドジャースが優勝し、山本由伸がMVPを獲得した。松井はヤンキー・スタジアムのデビュー戦で、満塁ホームランを打った。2009年のワールドシリーズで松井秀喜はホームランを打ち日本人初のワールドシリーズMVPを獲得した。落合博満が松井秀喜について、もうちょっと工夫したらもっと打てる選手になれたと語った。
プロ野球総選挙の第3位は、長嶋茂雄。昭和33年に、東京タワーが完成した。長嶋は巨人の4番として通算444本塁打を打ち、巨人は9年連続日本一となった。長嶋ファンらにインタビュー。長嶋は少年サンデー創刊号の表紙となり、人気漫画の巨人の星に登場した。映画「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」が1964年に公開され、長嶋と王貞治が共演した。プロ野球チップスは、1973年から発売された。
1959年に行われたプロ野球初の天覧試合で、長嶋茂雄がホームランを打った。落合博満が、長嶋さんが展覧試合でホームランを打ったことでプロ野球の人気が盛り上がったと語った。 1974年に長嶋茂雄が引退し、引退試合でホームランを打った。長嶋茂雄の大ファンのテリー伊藤が、引退セレモニーの思い出を語った。落合博満は当時会社員だったが、会社を休んで長嶋の引退試合を観戦した。長嶋は引退後、巨人の監督に就任し、リーグ優勝を5回、日本一を2回達成した。
プロ野球 総選挙、第2位は王貞治。打席に立つたびにホームランを放つその姿に大興奮!いまだにやぶられないホームラン記録868本、世界一のホームラン王。1959年に巨人に入団。当時、旋風を巻き起こしたのは一本足打法。一本足打法で1試合、全打席ホームランや13年連続ホームラン王、通算868本塁打の世界記録など数々の伝説を残す大スター。最もファンの記憶に残っている瞬間がハンク・アーロンの記録をやぶったとき。1977年8月31日、巨人vs大洋。王貞治は通算本塁打数755本、メジャーリーガーのハンク・アーロンの世界記録に並んだ。視聴率は42.1%。日本中が世界一を待ち望んだ。しかし、2日連続ホームランなし。元プロ野球選手で王の熱狂的ファンだった、パンチ佐藤。1977年9月3日、待ちに待った日が訪れた。世界一になった王貞治に日本中が大歓喜。張本勲の喜びのスーパージャンプも話題になった。このときの心境を去年の単独インタビューで「打った時にはホッとした、これで責められない。毎日、野球場や家にも子どもたちが来てサインをしないと野球場へ行けない。ファンが来てくれたから早く打たないとと思ってたがうまく打てなくて」などとコメントしていた。
イチローは今年、アジア出身選手初のアメリカ野球殿堂入りの快挙を達成。2000年代、イチローは「毎朝のカレーがルーティン」という話が広まると、朝からカレーを食べる人が続出。さらにもはや知らない人がいないであろうイチロー。最も活躍した2000年代には「好きなスポーツ選手ランキング」で9年連続1位に。そんなイチローをファンがスターだと感じた瞬間は伝説のレーザービーム。メジャー1年目の2001年、開幕からわずか8試合目で飛び出した。この日からレーザービームはイチローの代名詞となり、世界中の度肝を抜いてきた。レーザービームの本当のすごさについて栃木ゴールデンブレーブス・川崎宗則選手に聞いた。川崎選手は中学時代からイチローに憧れ、「同じチームでプレーがしたいから」とメジャーリーガーにまでなった。川崎選手は「球の低さ。タッチしやすい。イチローの球の回転が。しっかりと縦回転で低くて伸びる。落ちてこないんです。サードからしたらものすごい助かる。あれはイチローさんにしかできない」と話す。さらにトリノ五輪金メダリストの荒川静香さんは以前アメリカでイチローに会い、その時のイチローの言葉に衝撃を受けたという。荒川さんは「第一声が『美しさの秘訣ってなんですか?』って言われた。魅せ方や美しさを意識しながらプレーされているっていうことで、野球選手が美しさを求めてプレーをされているっていうのをそれから注目してイチローさんのプレーをみていたら、フライをキャッチしながらの転がり方とか、意識して魅せているんだと思ったらすごい感動した」と話す。守備でもスターだが、打撃でも本当のスーパースター。
シネマ歌舞伎『歌舞伎NEXT 朧の森に棲む鬼』の告知。来年1月公開。松本幸四郎さん主演の「幸四郎版」は1月2日~、尾上松也版が1月23日~公開。
2009年のWBC、連覇をかけて臨んだ侍ジャパン。決勝でイチローが奇跡を起こす。日本中が熱狂した名シーンを当時のメンバーとともに振り返る。試合は一進一退の攻防。そして同点で迎えた延長10回表、打席はここまで打率3割を超える内川。ここでヒットを放つ。実はこのヒットが打てたのは試合前にイチローからのアドバイスがあったからだという。そして1アウト3・1塁でイチローの前に代打で登場したのが川崎宗則。この時の心情について「脇が頑張る!主役は休んでて下さい!前座が行きます。ラクな場面でイチローさんに立たせたいという思いがあった」という。しかしここはショートフライでアウト。続く打席は日本の大スター・イチロー。追い込まれながらもファウルで粘り、運命の8球目で2点タイムリーを放ちリードした。
好きなレジェンドスターBEST20を一挙紹介。第20位:ラミレス、第19位:高橋由伸、第18位:クロマティ、第17位:鳥谷敬、第16位:江川卓、第15位:野村克也、第14位:原辰徳、第13位:清原和博、第12位:掛布雅之、第11位:桑田真澄、第10位:古田敦也、第9位:バース、第8位:松坂大輔、第7位:新庄剛志、第6位:落合博満、第5位:野茂英雄、第4位:松井秀喜、第3位:長嶋茂雄、第2位:王貞治、第1位:イチロー。
落合さんは「誰が入ってもおかしくないですよね。こういう番組は、プロ野球界に携わってきた人間からしたら、非常にありがたい」などと話した。
