- 出演者
- 尾上松也[2代目] 田中裕二(爆笑問題) 太田光(爆笑問題) ウエンツ瑛士 落合博満 八木亜希子 五十嵐亮太 古田敦也 磯山さやか 伊集院光 ビビる大木 那須雄登(ACEes)
今夜は私たちの胸を熱くしてくれた伝説の野球スターたちの総選挙を開催する。
皆さんからのご意見をご紹介。
オープニング映像。
第20位はラミレス。2001年は日本のスターたちがメジャーへ挑戦する変革の時代、そんなスターンの旅立ちと入れ替わるように現れたのがラミレスさん。外国人選手として史上初の2000安打を達成した。川上憲伸さんは「異常なくらい配球をしないと抑えられないバッター」と話した。ファンの一番の楽しみはラミレスさんがホームランを打つたびに見せてくれたパフォーマンス。ラミレスさんは「素晴らしい選手が数多くいる中で20位に選んでくれて光栄です」とした。
スタジオでは出演者が1位を予想した。古田さんは野茂英雄さん、五十嵐さんはイチローさんを1位と予想した。
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第18位はクロマティ。代名詞といえば“バンザイコール”、ファンからは愛嬌が良くムードメーカー的存在との声が聞かれた。1986年10月2日の試合で、クロマティは頭部へのデッドボールを受け病院へ緊急搬送された。翌日の試合、代打で登場したクロマティは満塁ホームランを放ち伝説の試合となった。現在も日本で暮らしているそう、脊柱菅狭窄症という病にかかり車椅子生活を送っているとのこと。
第17位はWBCで活躍した鳥谷敬。歴代2位となる1939試合連続出場、史上50人目となる通算2000安打達成など数々の偉業を成し遂げた鳥谷だが、阪神ファンを虜にさせたのがクールガイ。チームメイトだった糸井嘉男はクールぶっていた、本人曰く鳥谷敬を作っていたという。鳥谷が阪神ファンを驚かせた試合は、2013年WBC第2ラウンドの台湾戦。あと1アウトで敗退という状況で1塁ライナーの鳥谷が盗塁を成功させ、ホームインし絶叫した。
第16位は昭和の怪物・江川卓。1973年、春のセンバツ、60奪三振という高校時代に作った伝説の大記録。さらに、高校時代にノーヒットノーラン9回、完全試合2回、20完封、36イニング連続無安打無失点などの記録が残されている。記録を裏付ける映像はほとんど残っていない。本人に直撃すると、ノーヒットノーランは9回ではなく10回だという。36イニング連続無安打無失点はホント、勝っていれば4試合連続ノーヒットノーランだったという。現役時代に浮く球を体験したことのある栗山英樹は唯一無二、ピンポン球を投げているようなイメージだったという。掛布雅之は江川のボールはバッターからすると浮き上がるように見えたという。江川本人は数回実際に浮いたのを見たことがあると話した。
第15位は野村克也。プロ入り12年目に叩き出した新記録は戦後初の三冠王。その6年後にはプロ野球史上初の500号ホームラン。通算本塁打は王貞治に次ぐ657本で歴代2位。監督としてもファンを魅了した。野村の試合後のボヤキが楽しみのひとつとなっていた。監督としてもリーグ優勝5回、日本一3回という成績を収めた。現役時代にバッテリーを組んでいた江本孟紀は野村は当時緑のリンカーンに乗っていて車でグラウンドまで入ってきたという。古田敦也は野村監督は相手選手が行く飲み屋さんに行って情報収集していたという。古田は野村監督の最上級の褒め言葉はナイスゲームだったという。
第14位は栗山英樹も憧れたレジェンドスター選手。
第14位は原辰徳。1980年のドラフトで4球団競合の末、巨人に入団し、プロ1年目から大活躍。1年目で22本塁打。甘いマスクと実力で巨人の顔になった。栗山英樹は原辰徳はみんなが知ってる大スターだったという。原辰徳は現役時代にCM契約7本。原辰徳と愛犬サムが一躍大ブームとなり、「サム」という歌まで出している。1989年の日本シリーズ第5戦、巨人×近鉄。巨人は1勝3敗で崖っぷちで、原も絶不調だったが、7回ウラ2アウト満塁でホームランを打った。
第13位は清原和博。1985年、つくば万博が開催された年にドラフト1位で西武に入団。南海戦でプロデビューし、初ヒットがホームランとなった。高卒1年目で打率3割、31本塁打。清原の登場でパ・リーグが盛り上がり、パ・リーグの年間観客数は600万人を突破した。高校時代に桑田真澄とのPL学園KKコンビで大活躍した清原。清原は巨人への入団を熱望、桑田は早稲田大学進学を希望していた。しかし、清原を指名したのは西武、巨人の指名は桑田だった。1987年の日本シリーズ、西武×巨人。西武3勝2敗で迎えた第6戦、あと1アウトで日本一となったとき清原は涙を浮かべていた。当時、清原に声をかけていた辻発彦を直撃すると、まだ終わってないぞと声をかけたという。
第12位は阪神不動の4番・掛布雅之。現在は野球解説者として活躍しているが、現役時代の人気ぶりがすごかった。1985年、阪神の4番として初の日本一に導いた。ヤンキースで活躍した松井秀喜は憧れの気持ちがあって掛布のマネをしていて、左打ちになったのは掛布のマネをしていたからだという。1978年のオールスター・ゲーム第3戦、掛布は3本のホームランを打った。八木亜希子は当時は選手の住所が公開されていて、ファンが自宅を訪ねて行っていて、先輩がお茶を御馳走になったことがあると話した。八木さんは岡田彰布が大好きで出待ちをしたことがあると話した。
第11位はファンも唸った!投げる守る全てが一流の大エース!
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第11位は桑田真澄。1985年に巨人にドラフト1位で入団。沢村賞、最多奪三振、最優秀防衛率など数々の投手主要タイトルを獲得。松坂大輔は桑田真澄に憧れ、投球フォームをマネしていて、ワインドアップも桑田の影響だという。1995年5月24日、巨人×阪神で右膝のじん帯を断裂し、約2年にも及ぶリハビリを余儀なくされた。ケガから661日後、ヤクルト戦でマウンドに戻ってきた桑田は683日ぶりの勝利をあげた。
鳥谷敬が、阪神で一緒にプレーした横田慎太郎選手について語った。横田選手は2013年にドラフト2位で阪神に入団し、2016年の開幕戦にスタメン出場した。横田選手は21歳で脳腫瘍を発症して目に後遺症が残り、24歳で引退した。横田選手が現役最後の試合で、奇跡のバックホームを見せた。横田選手は、28歳で亡くなった。横田選手の野球人生を描いた映画「栄光のバックホーム」が上映中。
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第10位は捕手・古田敦也。1989年、野村監督率いるヤクルトにドラフト2位で入団。メガネを掛けた見た目から「のび太」と呼ばれ親しまれ、1年目から正捕手となりゴールデングラブ賞を獲得する活躍。プロ4年目の93年、シーズン盗塁阻止率で歴代1位の記録を樹立。06年は選手兼監督としてチームを牽引し、「代打オレ」という起用が話題に。
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第9位は内野手ランディ・バース。日本でプレーしたのは6年間。2年連続三冠王、7試合連続HRなどの記録を樹立。トレードマークのヒゲも話題に。85年にはバックスクリーン3連発HRの起点に。この年、阪神は球団初の日本一に。引退後はアメリカで地方議員を務めた。
ファン5万人の投票で決まるプロ野球総選挙、第8位は投手・松坂大輔。高卒ルーキーで最多勝、ワールドシリーズも制覇。98年の甲子園で春夏連覇、ドラフト1位で西武に入団。当時は大人気で、キャンプ地では影武者が用意されたことも。プロデビュー戦では強打者相手に奪三振。この年16勝で新人王&最多勝獲得。
