- 出演者
- タモリ 佐藤茉那
今回は東京・神楽坂。神楽坂といえば路地裏にオシャレな店が立ち並ぶ都内屈指の人気エリア。案内してくれるのは鈴木靖さん。かつて神楽坂には路地裏に料亭がひしめき合っていて芸者さんが700人以上いた。今でも、芸者さんが稽古している。今回のお題は「なぜ?神楽坂は大人の隠れ家になったのか?」。
オープニング映像。
タモリらは飯田橋駅前へとやって来た。神楽坂の坂が始まる場所から大人の隠れ家になった理由を探っていく。両側にある石垣は牛込御門の石垣。江戸時代の地図を見てみると、神楽坂は江戸城の外堀に接していた。神楽坂は江戸城外堀や牛込御門と同時期に整備されたと言われている。坂を登っていくと毘沙門天 善國寺がある。神楽坂を通るメインストリートにはアップダウンがあることが分かった。神楽坂は将軍が通る道だったので最短ルートを重視し高低差を気にしないで通したという。神楽坂を上がってきた高台に種軍が生きたかった場所があった。それが下屋敷だった。下屋敷は江戸郊外に設けた大名の別荘で災害時の避難場所としても使用されていた。この下屋敷を持っていたのは酒井忠勝。酒井忠勝は家康、秀忠、家光の徳川3代に渡って仕えた側近で、将軍家から絶大な信頼を得ていた。家光は特に酒井を頼りにしていて、酒井の屋敷を145回も訪ねた記録が残っている。
時代が進むと神楽坂はだんだん大人の隠れ家の街に変わっていく。その始まりがわかる場所が崖の下だった。江戸時代後期になるとこの崖下に非公認の遊郭、岡場所ができた。明治時代になると、この当たりが新たに花街に発展していった。人目に付く場所に、人目に付くような建物を建ててはいけないという禁令が明治政府から出てた。そう考えると、この崖下は、表通りから見えないので最適の場所だった。
裏路地の道は、それぞれの店へ引き込むように新しい路地が人目を避けて造られていった。密談や密会など人目を避けたシーンには非常にありがたい街の構造になっている。タモリは登録有形文化財の建物を訪れた。建物は日光の宮大工が釘を使わずに建てたものだという。タモリらは料亭だった頃のお座敷を見学させてもらった。中庭には大きな石があり、向こう側の部屋が見えないようになっている。客同士がかち合わないように、各部屋にトイレがついていて階段も4つある。
眞由美さんは神楽坂で60年近く芸者を続けている。眞由美さんは「いろいろ変わっていくけど神楽坂が好きです」などと話した。
エンディング映像。
ブラタモリの番組宣伝。