- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 小泉孝太郎 高嶋ちさ子 石原良純 石原伸晃 石原宏高 石原延啓
スペシャルゲストは石原4兄弟。大人になってから4人揃ってのテレビ出演は初。高嶋ちさ子さんの兄と四男・延啓さんは幼稚園が一緒で幼少期にちさ子さんも石原家に行ったことがあるという。本日は石原4兄弟大集合今明かされる石原家の真実3時間SP。
石原4兄弟の父・石原慎太郎は東京都知事を約14年務め様々な功績を残す一方、強烈な発言で物議を醸した。執筆した作品は300作品以上の希代の小説家でもある。今回は石原家の歴史を辿りながら石原家の真実に迫る。
1956年、石原慎太郎は「太陽の季節」で芥川賞を最年少受賞。破天荒な作品に文学界からは賛否の声も上がるなど大きな話題を呼んだ。「太陽の季節」は映画化され、慎太郎の弟・石原裕次郎が俳優デビュー。この年慎太郎のヘアスタイルなどを真似た太陽族が流行語になるなど社会現象となった。1957年長男・伸晃が誕生、1962年次男・良純が誕生。慎太郎は小説「青春とはなんだ」の連載を開始。後に裕次郎主演で映画化され学園青春ドラマの先駆けとなった。
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- それだけの世界アフロギンザ・ファンタジア一橋大学共同通信社南田洋子古川卓己国立(東京)太陽の季節完全な遊戯山田信夫慶應義塾高等学校戯曲「霧の夜」接吻泥棒新潮社旅の果て日吉(神奈川)日活毎日新聞社湘南(神奈川)白い翼の男石原慎太郎石原裕次郎石原音楽出版社舛田利雄芥川龍之介賞若い獣葉山(神奈川)蟷螂の庭講談社谷川逗子(神奈川)鎌倉(神奈川)長門裕之青い舷燈青春とはなんだ
1964年、東京五輪が開催され慎太郎&伸晃は記者席で観戦。この時の感動が東京2020オリンピック開催への原動力になった。1964年三男・宏高、1966年四男・延啓が誕生。そしてこの年、逗子に大豪邸が完成。1968年慎太郎は参議院議員選挙に初出馬。ベストセラー作家の立候補は話題を呼び300万票でトップ当選。翌年「スパルタ教育」を出版し当時の教育観に一石を投じた。
石原4兄弟が地元・逗子の大豪邸に帰郷。父・慎太郎は10歳の時に逗子へ移り住み、1972年衆議院選挙に出馬するため田園調布に引っ越すまで約30年間住み続けた。
石原4兄弟が地元・逗子の大豪邸に帰郷。旧石原邸は急坂を上った高台にある。4兄弟は田園調布に引っ越し後も週末は度々逗子へ来ていた。
旧石原邸は急坂を上った高台にある。2014年に売却し現在は別のオーナーが所有している。住んでいた頃の石原邸の貴重映像を紹介。大理石の廊下と大階段が旧石原邸の象徴。2階の壁にはヨットの写真が飾られていた。慎太郎の寝室兼書斎の奥には大量の本を所蔵する書庫があった。2階には慎太郎のアトリエもあった。祖母が住んでいた離れは広々とした和室となっている。庭にはプールを埋め立てて造られたお堂、母屋の裏手にはヨットのキャビンをイメージした地下室。
11年前、父・慎太郎と良純が対談した貴重映像を紹介。前の家が日当たりが悪く子どもたちが風邪ばかりひいていたからたまたま見つけたこの土地を即断して購入したと慎太郎は話すが、石原4兄弟は信じなかった。慎太郎は小学校時代に北海道なまりが抜けずいじめにあったことを明かした。
父・慎太郎と良純の親子対談の映像を紹介。慎太郎は孫を見て発育盛りの子供は見ていて面白いと感じたという。子供が好きなようにやれる保障を整えるのが親の責任だと思うからそれなりにしてきたつもりなどと語った。
1972年、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」が放送開始。裕次郎率いる石原プロは刑事ドラマのイメージが定着。1979年、「西部警察」が放送開始。今では考えられない規模の爆破シーンが話題になった。1話の制作費は映画を撮れるほどの伝説のドラマだった。良純の俳優デビュー作は映画「凶弾」。日本アカデミー賞新人賞を受賞した。その後「太陽にほえろ!」などにも出演。良純の俳優デビューのきっかけは、叔父・裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れた時にお見舞いに行った写真が出回りプロデューサーに誘われたという。
1987年7月17日、石原裕次郎が52歳でこの世を去る。同じ年、慎太郎は竹下内閣で運輸大臣に就任。平成元年の1989年、「NO」と言える日本が100万部を突破。さらに自由民主党総裁選挙に立候補するも落選。1990年、長男・伸晃が衆議院議員に初当選。現在は政界を引退しジャーナリストとして活動している。1995年、慎太郎は国会議員を突如辞職。伸晃は父・慎太郎の行動の原点は怒りだと話した。良純によると慎太郎はちさ子のファンだったという。
1996年、裕次郎を題材にした小説「弟」が132万部の大ヒット。後にドラマ化され良純も出演した。
1999年、慎太郎は東京都知事選に立候補し圧倒的な票数で当選。東京都政の改革を実行し、財政再建やスポーツ振興など様々な功績を残した。さらに東京2020オリンピックの招致にも尽力し、都知事引退から9年後に東京2020オリンピックが開催。
小泉孝太郎は父・小泉純一郎と石原慎太郎は政治家としての理念や思想は違ったが、純一郎が総理大臣に就任した時に慎太郎が全面的に応援してくれたと父が喜んでいた顔を覚えていると明かした。
石原慎太郎が愛した名店「珠屋洋菓子店」で4兄弟が父の衝撃エピソードを語り尽くす。4兄弟のお気に入りは創業以来のロングセラー「ザバロール」など。慎太郎の驚がくエピソード1つ目は「泣かされたお出かけ」。伸晃&良純は有料道路のトンネルを歩かされたという。2つ目は「忘れられた金婚式」。良純は両親の金婚式を開催したが2人は全く覚えていなかったという。
石原家と小泉家は父が帰ると緊張感があたっという。石原4兄弟が父の衝撃エピソードを語り尽くす。慎太郎の驚がくエピソード3つ目は「誕生日にまさか…」。父の誕生日に店を予約していたが父が来なかったため兄弟4人で食事したという。4つ目は「結婚式に飽きる」。結婚式に飽きたから短くしろ、遠くにいるとつまらないから真ん中にしろなどと言われて、良純は両親と並んで6人で高砂に座ったと明かした。5つ目は「孫にも飽きる」。
オープニング映像。
印刷会社の会長の林さんの幸福時間はコメづくり。使われていなかった農地で酒造りの原料となるコメを作る。11年前に地元の農家や起業家らと一緒に震災後の福島を知ってもらおうと始めた。地元の中学生や東京の支援者も農作業に参加している。
私の幸福時間の番組宣伝。
石原4兄弟が父の衝撃エピソードを語り尽くす。慎太郎の驚がくエピソード5つ目は「孫にも飽きる」。良純は子供を実家に連れて帰っても30分で飽きて自分の部屋に上がってしまうとなどのエピソードを明かした。しかし初孫の時は伸晃の留守中に来てご飯と酒を飲んで帰宅することもあったが3か月くらいで孫に飽きたという。6つ目は「せっかくの正月旅行で…」。正月に家族で伊豆の温泉旅行に行ったが慎太郎は飽きて一人で電車で帰ったという。他にも豪華客船の旅を2日前にドタキャンなどのエピソードを明かした。7つ目は「破天荒な大晦日」。自宅の鐘をバッドで突き除夜の鐘を鳴らすのが石原家の大晦日の恒例行事。この鐘は岡本太郎から譲り受けた作品で鑑定番組に出すと価値は6000万円だった。