2025年3月20日放送 22:45 - 23:30 NHK総合

プロフェッショナル
アフリカ 希望に駆ける〜小児科医・障害児支援 公文和子〜

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file:541 アフリカ 希望に駆ける
アフリカ 希望の小児科医 子どもたちが輝く秘密

アフリカ・ケニアの小さな村では人々が1台のバスを待ちわびる。バスの向かう先には「希望」と呼ばれる1人の日本人医師が待っている。公文和子さんは小児科医であり障害児教育のスペシャリスト。この地で自ら施設を立ち上げ子どもたちを守り、心を育んできた。差別されてきたアフリカの障害児たち、公文和子さんはその家族までをも支え、共に歩んでいる。根深い偏見と高い壁、それでも進む理由とは。

アフリカ・ケニアの首都ナイロビ近くに「シロアムの園」を立ち上げた公文和子さん。公文さんは園長として運営の一切を担う。登園する50人の子どもたちの健康管理を行いながら、25人のスタッフらとともにリハビリや教育支援を行う。毎朝決まって行うのは名前の確認。その際に拍手を送り反応を確認する。これはアイデンティティにつながるのだとした。ケニアでは障害児に対する公的な支援はほとんどない。子どもたちの多くは学校はおろか外に出る機会もほとんどないという。授業では日常のための動作を学んでいく。考えを口にできない子どももおり、公文さんはサインを読み取る。子どもたち1人1人が持っているものををどうしたら輝かせることができるのか、を考えているという。公文さんが園を立ち上げたのhが10年前。現地のスタッフを雇い育成を行い、子どもたちへのプログラムを作り支援を行ってきた。スタッフは公文さんに信頼を寄せ、施設はケニアでは稀な施設だとした。体幹機能が弱く、立つことが困難だった男児、喋ることが困難な男児は目の動きで意思表示をできることを目指す。現在園の入園待ちは150人以上、世界中から視察が訪れる。

キーワード
シロアムの園ナイロビ(ケニア)
アフリカ 希望の小児科医 命の格差の中で

公文さんは園を運営する傍ら、小児科医としても活動。そんな公文さんに子どもたちの痙攣を抑えるシロップが少なくなっているという。同じ成分を持つ錠剤を砕き、薬を手作りする。3年前から園に通う親子は長年息子を診てくれる病院を見つけることができなかった。現代でもケニアでは「障害は母親のせい」と考える風潮が残っており、この母親も人々から軽蔑され夫は出ていき、現在はシングルマザーとして4人を育てている。経済的には苦しく自分はどんな罰を受けているのかと考えることもあったという。

14歳の少女の母は娘の障害がわかると出ていき、祖母に育てられているという。薬作りから9日後、少女は痙攣を起こした。長く痙攣が続けば命の危険もある。強い薬を注射する必要があるが呼吸が止まる可能性もあり簡単には使えない。園には呼吸器の専門医もおらず、機材も乏しいのだという。公文さんは注射を少量ずつ行うことを決断した。1時間後、少女の痙攣は収まった。公文さんは祖母の不安を慮り、何が出来るのだろうと自問する。

アフリカ 希望の小児科医 親子が未来をえがけるように

公文さんの支援は子どもたちに留まらず、親御さんにも及ぶ。親たちの収入を得るために古着のビジネスを行い、収入の半分を医療費に充ててもらっている。またイベントなどではドーナツを販売してもらう。現在は園で材料費などを負担し、将来的には親御さんだけで採算をとれるように、自立したビジネスを目指しているという。子どもたちを守るためには経済的な基盤の確保を欠かせない。また週に1回牧師を招き、お祈りや相談の機会を設ける。こうした時間も必要なのだと公文さんは語った。

キーワード
ドーナツ
アフリカ 希望の小児科医 子どもたちが輝く秘密

公文さんは毎月子どもたちの誕生日会を大切にしている。子どもたちの中にはこれまで1度も誕生日を祝ってもらったことのない子供もいるという。親御さんにも「産んでしまった」という気持ちがあったり、子どもたちも肩身が狭い思いをしているケースもあるのだという。だからこそ、命を喜んで一緒に楽しめる機会が大切なのだと公文さんは語ってくれた。

小児科医・障害児支援 公文和子 子どもたちと歩んだ23年

ケニアに住んで23年になる公文さん。ここにはやるべきことがあるという。時間を見つけて家庭訪問をし、家での過ごし方についてアドバイスを送る。小児科医の範疇をこえたその行動。何が彼女を突き動かすのか。公文さんは3人姉妹の次女として生まれた。活発だったが落ち着きがなく、幼稚園は転園を余儀なくされた。そんな公文さんを受け入れてくれたのはクリスチャンとして通った教会。ここでこれまでとは違った人たちが見守り肯定してくれた。小児科医を目指したのは24歳の頃。当時最貧国と言われたバングラディシュでのボランティアを経験したことだった。日本の病院で臨床を重ねイギリスでも学んだ。32歳の頃、内戦が発生していたシエラレオネの小児病棟で働き始めた。そこでは未経験のことばかりで、玉砕したと語る。自身も緊急搬送され現地を離れた。無力感をかかえたまま10年。知人の誘いでケニアを訪れた際に出会った少年、診察室で目があった少年が笑ってくれたという。ここで彼女の止まっていた針が動き出した。公文さんはケニアの実情を調べ、子どもたちや親を支える手立てを模索した。特別支援教師を集め、園を立ち上げた。4ヶ月後に重度の脳性麻痺を患う少女と出会う。差別を恐れ隔離され、表情はない。母は介助に疲れ引き取ってほしいと語った。それはできないが、公文さんたちは彼女の支援方法を模索した。ただ結果はでない。1年半後、少女は突然笑ったという。少女は翌年亡くなったがその時間は公文さんにとっても大切な時間だったという。それから8年、100人以上の子どもたちを受け入れてきた。もちろん目に見える変化ばかいりではないが、それは歩みを止める理由にはならないという。

キーワード
PTSD和歌山県脳性麻痺
アフリカ 希望の小児科医 10年目のクリスマス

昨年11月、公文さんたちはクリスマス会の準備を行う。当日は子どもたちが歌やダンスを披露する。また当日は家族だけでなく、地域住民や地元企業も招いた。この10年、子どもたちの居場所を作ったが、今後は社会で支える仕組みを作らなくてはならないという。またこの時、運営費は赤字となっていた。公文さんは見学や企業での公演を行っていた。12月10日、入念なリハーサルが行われる。直後のミーティング、公文さんはスタッフたちに円滑な進行も大切だが、子どもたちが楽しめることが大切ではないかと呼びかけた。格差や差別、途方もない不条理を越えて巻いた種がつながるように。クリスマス会当日、子どもたちは家族とともにやってきた。公文さんはいつものように子どもたちに声をかける。会場には海外からのゲスト・地域住民・地域の名士と呼ばれる人たちが訪れた。子どもたちの開会のあいさつでクリスマス会が始まる。クリスマス会のあと、皆が手を取り合った。公文さんは集まった人たち、そして何より子どもたちに感謝を述べた。

アフリカ 希望の小児科医 命が、喜ばれるように

翌週、公文さんは子どもたちのこれからに話し合った。この子達こそが希望だと思うとした。

小児科医・障害児支援 公文和子

プロフェッショナルとは?この質問に公文さんは与えられた役割を果たすことだと語った。

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