ケニアに住んで23年になる公文さん。ここにはやるべきことがあるという。時間を見つけて家庭訪問をし、家での過ごし方についてアドバイスを送る。小児科医の範疇をこえたその行動。何が彼女を突き動かすのか。公文さんは3人姉妹の次女として生まれた。活発だったが落ち着きがなく、幼稚園は転園を余儀なくされた。そんな公文さんを受け入れてくれたのはクリスチャンとして通った教会。ここでこれまでとは違った人たちが見守り肯定してくれた。小児科医を目指したのは24歳の頃。当時最貧国と言われたバングラディシュでのボランティアを経験したことだった。日本の病院で臨床を重ねイギリスでも学んだ。32歳の頃、内戦が発生していたシエラレオネの小児病棟で働き始めた。そこでは未経験のことばかりで、玉砕したと語る。自身も緊急搬送され現地を離れた。無力感をかかえたまま10年。知人の誘いでケニアを訪れた際に出会った少年、診察室で目があった少年が笑ってくれたという。ここで彼女の止まっていた針が動き出した。公文さんはケニアの実情を調べ、子どもたちや親を支える手立てを模索した。特別支援教師を集め、園を立ち上げた。4ヶ月後に重度の脳性麻痺を患う少女と出会う。差別を恐れ隔離され、表情はない。母は介助に疲れ引き取ってほしいと語った。それはできないが、公文さんたちは彼女の支援方法を模索した。ただ結果はでない。1年半後、少女は突然笑ったという。少女は翌年亡くなったがその時間は公文さんにとっても大切な時間だったという。それから8年、100人以上の子どもたちを受け入れてきた。もちろん目に見える変化ばかいりではないが、それは歩みを止める理由にはならないという。