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今から900年前の平安時代に造られた東北地方(岩手県平泉町)現存最古の建造物。それが中尊寺金色堂。厳重に保護されている 金色堂のすべてをデジタルデータで記録する。そんな一大プロジェクトに NHKなどが去年1月に挑んだ 。そして1年かけて、金色堂をデジタル空間にうつしとった。今回、このデジタル金色堂をつかって、建立の謎に挑む。
金色堂は藤原清衡によってつくられ、2代目3代目などの代でなんらかの手が加えられ、現在の姿になったと考えられている。金色堂の堂内は大きく3つのグループにわかれている。安置されているのは、壇の上のご本尊・阿弥陀如来坐像など。仏像の数は全体で33体に及ぶ。なお奥州藤原氏は、平安時代に約100年間、東北や北海道の一部をおさめた一族で、4代目で源頼朝によって滅ぼされた。
数え切れないほどの死を目の当たりにしてきた清衡の活躍した時代に、末法思想(釈迦入滅の2000年後に末法の世界が訪れるという思想)が流行した。そして、阿弥陀如来信仰が盛んになった(末法の世界を唯一救ってくれるのが阿弥陀如来だと考えられていた)。阿弥陀様のありがたさを金で表現したのが、中尊寺の大伽藍のひとつとしてつくられた金色堂だ。西方浄土(太陽の沈む方角に阿弥陀如来がいる極楽浄土があるという考え)のおしえを目の当たりにできる仕掛けもある。暗い時代に仏の力を金で表したのか。金色堂のように金でおおわれた仏教建築は他に見当たらない。同じ平安時代につくられた平等院鳳凰堂や醍醐寺薬師堂と比較しても異質にうつる。
金色堂につかわれた大量の金はどこからきたのか。平安時代、金がとれたのは東北地方だけ。その東北を支配した清衡は各地の金も支配した。当時、数十か所以上の金の山地があったと考えられている。東大寺の盧遮那仏にも、東北の金がつかわれている。ちなみに現在でも、陸前高田市の一部の川では、砂に混じって砂金がみつかる。
金色堂の研究者たちがそれぞれの視点で、金色堂の美の秘密を探る。工芸・彫刻の専門家が注目したのは、仏像が安置される壇の格狭間に描かれた、孔雀・チョウ・草花。孔雀は、極楽浄土に住む6種類の鳥のひとつとされる。チョウ・草花は、12世紀のやまと絵などで数多く描かれた。これらで、現世・極楽浄土などを表現している。建築の専門家が注目したのは屋根。焼き物の瓦ではなく、木瓦葺という技法でつくった木からなる。優美な軒に欠かせない技法とされる。歴史の専門家が注目したのは、螺鈿細工の貝殻に使用した夜光貝。当時の日本では獲れなかっためずらしい貝で、遺跡から、輸出拠点は喜界島にあったことがわかっている。財力を誇った清衡は、都を介さずに独自に大陸を交易をおこなっていたのか。
金色堂の3つの壇の中にはそれぞれ棺があり、昭和25年の学術調査で、奥州藤原氏の遺体がミイラ状態で納められていることが確認された。当時の葬り方(高貴な人)は、火葬した遺骨または遺体を床下に埋葬するのが一般的。堂内に納めるの事例は極めて珍しい。初代の清衡の強い意志が働いたのか。棺にも謎が。専門家の見立ては「お釈迦様がお亡くなりになったときに金の棺に納められたに倣った」「自分の往生を願って曳覆曼荼羅を遺体にかけた」「極楽浄土を実現するため遺体をミイラ状態にした」など。
奥州藤原氏が目指したものはいま、思いがけないかたちで受け継がれている。それが中尊寺ハス。昭和の調査で、一族が眠る壇のなかで種が見つかった。復活したハスは東日本大震災で犠牲になった人たちの鎮魂を祈り株分けされた。ちなみに、建立900年特別展中尊寺金色堂が展示されている。東京国立博物館にて、4月14日・日曜日まで。
エンディング。