- 出演者
- 出川哲朗 ホラン千秋 長嶋一茂
1987年放送、「ニュースステーション」のコーナー「長嶋一茂物語」を紹介。日米大学野球に5番打者として出場も、初打席凡打のあと2・3・4打席目で三振。3-1でアメリカが勝利。次の試合では3打数2安打も勝てず。当時のインタビューでは「(相手ピッチャーは)ランクが2つぐらい上」「(自分も)レベルの高いところでやらないと」など話していた。
オープニング映像。
今回、放送時間が変わって第1回目の放送。
ここまで、1987年放送の「ニュースステーション」のコーナー「長嶋一茂物語」を紹介。長嶋は当時大学生。映像では反省している様子も見られたが、出川は「それをプロになってからやれよ!」と指摘。ホランは「なんで今はクソオヤジになっちゃったのかな」「今となっては全部人のせいでしょ」などコメント。
ホランの連続ドラマレギュラー初出演「魔法戦隊マジレンジャー(2005年)」の映像を紹介。当時16歳。作中では悪役を演じていた。当初はヒーロー役に決まっていたが、学業との両立を考えて辞退。芸能界に入ったのは6歳で、芸歴は一茂と同じ30年。演技に惹かれたきっかけは、13歳で市民ミュージカルに出演したこと。
1986年公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」の映像を紹介。当時22歳の出川哲朗が出演。撮影の合間で渥美清から声をかけられたことも。
1986年公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」の映像を紹介。当時22歳の出川哲朗が出演。撮影の合間で渥美清から声をかけられたことも。渥美は人見知りな性格で、自分から出演者やスタッフに話しかけることは少ないという。山田洋次監督の指導は厳しく、1シーンの撮影に2時間ほどかかったそう。19年公開のシリーズ最終作「男はつらいよ お帰り 寅さん」にも、カンニング竹山とともに出演。86年の出演のきっかけは、山田監督の映画「キネマの天地」にスタッフの縁で出演したこと。
1986年公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」に当時22歳の出川哲朗が出演したときのこと。出川演じるキャラクターが「寅さんに恋人ができた」と騒ぐシーンがストーリーのきっかけであることから、「俺がいないと映画は進まない」と豪語。
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- 柴又(東京)男はつらいよ 幸福の青い鳥