- 出演者
- 向井一弘 池田伸子 伊藤海彦 道上美璃 田中美都
オープニングが流れ、キャスターらが挨拶した。
全国の気象情報を伝えた。
半月前に台風25号で被害を受けた千葉県・養老渓谷から中継。現場付近の観音橋の下には未だに流木が溜まっていた。現場は人気の観光スポットだが、養老渓谷周辺の道路が倒木・崩落などで通行止めになっており、現在も復旧・復興の作業が続いている。また、現場以外でも養老渓谷の広範囲・約20ヶ所で道路が寸断されているとのこと。続いて、現場付近で休業している旅館へ。中には、旅館代表兼養老渓谷観光協会会長の秋葉保雄がいた。秋葉曰く、台風25号による旅館の損壊はなかったものの停電・断水が長引いたが、電気は先月28日・水道は今月2日に復旧したため、旅館自体は既に営業可能な状態だという。厨房に向かうと、空の冷蔵庫があった。秋葉によると、食材はすぐにでも仕入れられるが、道路復旧の目処が立っていないため、営業再開が当分先になるとして現在は食材を仕入れていないそう。秋葉は、11月からの養老渓谷の紅葉シーズンに向け、観光協会のメンバーと協力して前向きに情報発信していきたいとし、台風の影響で荒れたハイキングコースの確認・どのエリアまで入れるかなどの詳細な情報提供などをしていきたいと話した。現在は道路復旧の目処が立っていないため、養老渓谷への立入禁止の解除の目処も立っていない。
千葉県・養老渓谷からの中継に関してスタジオトーク。岸は、地域経済への影響の観点からも、早急な復旧作業が必要だとコメント。池田は、行ける所からまた足を伸ばせていけるよう願った。
来年度から食料品消費税率が1%に引き下げられるのに合わせ、その1%分について支援金が先行導入され、食料品消費税率が8%に戻る予定の2029年度以降、支援金も本格導入される予定で、支援金は原則1年に1回支給される仕組みとなっている。この支援金・就業者負担軽減支援金は、中低所得者の税や社会保険料の負担を減らし、これまでより手取りを増やすのが狙い。政府は、中低所得者の税・社会保険料の負担感が諸外国より重いと分析しており、アメリカ・ドイツなどの平均と比べて日本の方が実質的な負担率が高いため、手取りの増加で負担感を軽減しようという目的がある。所得に応じた支援金の具体的な仕組みはまだ示されていないが、これまでの議論で「一定の年収を超えると支援額が徐々に増加し、更に一定の年収を超えると支援額は徐々に減少して、最終的に支援の対象外となる」というイメージが示されている。この他、子供がいる場合はその人数に応じて加算するともしている。また、「年収の壁」による働き控えを緩和して就労を促すため、支援額を時限的に加算する方針だが、その詳細は決まっていない。政府の大綱によると、この支援金を受けられる年収案は、雇用保険料の支払いが生じる53万円から・給与所得が生じる74万円から・社会保険料の負担が生じる106万円からの3案が示されており、支援金が受けられなくなる年収については、税・社会保険料などの負担を海外と比較などして決定するとのこと。そして、政府は詳しい制度設計について、年末にかけての来年の予算案の編成過程で決める方針。加えて、減税や支援金の財源も、近く決定予定の法案で具体的には明示されていないが、法案では「赤字国債に頼らず、歳出・歳入全般の見直しの中で確保する方針」が掲げられている。とりわけ、2019年度以降の本格導入には、一時的ではなく恒久的な財源が必要。
高知県の四万十町は標高1000mの峰々が折り重なるように続く。その間を蛇行して流れるのは清流四万十川。6月上旬は梅雨で森が賑やかになる季節。声の主はアカショウビンで求愛行動をおこなっている。瑠璃色の美しい鳥と言われるブッポウソウは大きな木の洞などを使い子育てをする。ヤイロチョウは絶滅が心配されている鳥で、わずかな数が繁殖のため東南アジアなどから渡ってくる。日本では見つけることすら難しい鳥が、この森では毎年確認することができ四万十川の豊かな森が鳥たちの命を支えている。高知県を代表する仁淀川。その川を見下ろすようにそびえるのは横倉山。標高800mで山は石灰岩や蛇紋岩など複雑な地質。石灰岩の急な斜面に生えていたのはヨコグラノキ。1884年に高知県出身の植物学者・牧野富太郎によって発見された。牧野が横倉山で発見したのは25種にもなる。こうした植物はこの山で1000種以上発見された。倒木に生えるギンガタケ。こうしたキノコが見られる森は日本では珍しいという。
今月18日から愛知県を中心に開かれる「アジアパラ大会」。この大会では、45の国と地域から約4000人の選手団が参加し、18の競技が行われる。中でも注目されているのが、車いすテニスの小田凱人(20)。現在、小田の世界ランキングは1位で、2年前のパラリンピックでも、史上最年少の18歳で金メダルを取るなどしている。そんな小田の出身地で今大会の開催地でもある愛知県は、日本車いすテニス協会の登録選手が全国で最も多く、県内では車いすテニスの普及が進んでいる。今回は、小田が子供の頃から指導したコーチを取材。
愛知県を拠点に活動する車いすテニスのクラブチームでコーチを務めるのは、貝吹健。貝吹は2016年にこのチームを設立し、現在は5人のメンバーが所属している。貝吹は元々愛知県のテニススクールでコーチをしていたが、約20年前に車いすテニスコーチになった。当時は車いすテニスの経験も試合を見たことも無かった貝吹だが、次第に魅了されていったという。しかし一方で目の当たりにしたのは、車いすテニスを取り巻く厳しい環境。車いすテニスに適したコートが少なく、使えるコートも階段があり辿り着けないこと・車いすテニスを教えられる指導者が殆どいないことなどが原因で、挑戦の機会が奪われていた。そうして貝吹が車いすテニスの環境を整えたいと思う中で出会ったのが、後に車いすテニスのエースとなる小田凱人。小田は、小学生の時点で日本車いすテニス協会から”育成強化選手”に選ばれるなど、既に頭角を現していた。しかし小田ら若い選手も、練習環境や金銭面の課題から成長の機会が限られていた。そこで貝吹は各地のコートや知り合いの元を巡り、環境の整備をかけあっていた。そして7年前に貝吹が出会ったのは、名古屋市に本社を置く大手セラミックスメーカーの総務部長・三村琢。貝吹が車いすテニスの環境の整備を切実に訴えると、三村の会社は”社会貢献”として車いすテニスの支援を行うことを決めた。2020年には名古屋市内の施設に、車いすテニスに適したハードコートを整備。一昨年には、体温調節が難しい選手でも安心して練習できるよう、空調設備が整った室内コートを建設し、付随するトイレ・トレーニングルームなどもバリアフリーの設備を整えた。他にも、小田を始めとした若手選手らの遠征費など資金面でもサポート。こうした動きについて、小田は「愛知県にいると、車いすテニスの理解をしてもらえている・車いすテニスが色んな人に広まっているという感覚を感じる」とコメントした。
愛知県での車いすテニスの普及に尽力するコーチ・貝吹健のVTRを見てスタジオトーク。スタジオでは、キャスターらが貝吹の熱意や行動力を称賛した。また、貝吹によると、車いすテニスに関わるコーチも増えているとのこと。一方、障がい者スポーツに詳しい日本福祉大学・藤田紀昭教授によると、パラスポーツは「地域差」や「競技差」が大きいため、点では広がっているものの全体には浸透しておらず、指導者・関係者などの先頭に立ってパラスポーツを後押ししていく存在が重要だという。そして貝吹が今注力しているのは、子どもたちが夢を持つ”きっかけ作り”。
貝吹健が開いていたのは、車いすテニスを始めたいと思った子どもたちが気軽に参加できる週1の練習会。貝吹に声をかけられてこの練習会に参加し始めた小学6年生・森田小太郎は、脳性まひで足や体にまひがあり、小さい頃は一人で立つのも難しかったという。今はゆっくり歩くことができるものの、長距離移動には車椅子を使用しているとのこと。小太郎は車いすテニスを始めて5年経った今も、車いすテニスを続けたいと思っているそう。そんな小太郎は、小田凱人に憧れを抱いていた。小太郎の母も、彼が車いすテニスを通して自分に自信を持てるようになり、成長を感じていると話した。貝吹は、こうした環境が当たり前ではない現状を改善するため、愛知県外にも同様に車いすテニスを広めていきたいとした。
愛知県で広がる車いすテニスについてスタジオトーク。スタジオは、小田凱人に憧れて車いすテニスを続ける小学6年生・森田小太郎の姿で微笑ましい雰囲気に包まれた。小太郎は既に、アジアパラ大会の車いすテニスのチケットを取っているそう。また、貝吹健は今回のアジアパラ大会について、「世界のトップで活躍する選手たちも、始めは皆と同じ初心者だった。夢を追うことは決して特別なことじゃない。全員にそのチャンスも才能もあるということを知ってほしい」と話していたとのこと。
現在は車いすラグビー、車いすバスケ、ボッチャなど色んなパラスポーツを知るようになった。しかもかつてのように障害者のリハビリの延長ではなく、世界と戦う競技スポーツとして見るようになった。こうしたパラスポーツの発展を支えた先駆者、パラリンピック競泳で活躍した成田真由美さんを紹介する。去年9月に55歳で亡くなった。通算6回のパラリンピックに出場して、数々の栄光を手にした。
水の女王と呼ばれたパラ競泳選手・成田真由美さん。猛練習で鍛え上げた上半身を使った豪快な泳ぎで、パラリンピック6大会に出場。日本人選手最多の15個の金メダルを獲得した。昭和45年、神奈川県川崎市に生まれた。幼い頃からスポーツが大好きで活発な少女だった。しかし、中学生の時、横断性脊髄炎を発症して両足が麻痺。車いす生活になった。転機は23歳の時。友人から水泳に誘われた。しかし、子供の頃は泳げす、学校のプールも見学をしていたそう。恐る恐るプールに入った成田さん。「自分が思っていたよりも体がすごく軽かった。陸にいると重い2本の足がプールに入ると軽く感じられた」という。水泳に夢中になった成田さん。やがてパラリンピックへの挑戦を決意する。ところが、車いすを理由にいくつものスイミングクラブから入会を断られた。ようやく指導してくれるコーチと出会い、練習を開始。成田さんは体温を調節する機能が十分に働かず、激しい運動をすると体に熱がこもる。冷水で直接体を冷やしながらの練習。初めて挑んだパラリンピック、アトランタ大会。成田さんは2つの金メダルを獲得。さらに生涯のライバルと出会う。ドイツ代表のカイ・エスペンハイン選手。エスペンハイン選手に勝ちたい。成田さんはより過酷な練習を取り入れた。そして迎えたシドニー大会。再びエスペンハイン選手と相まみえた。結果、エスペンハイン選手が持っていた世界記録を3つも更新。金メダルを6個獲得した。そのわずか2年後、エスペンハイン選手が亡くなった。34歳だった。シドニー大会後、引退も考えていた成田さんだったが、次のアテネ大会を目指そうと決意する。平成16年、アテネ大会。エスペンハイン選手への思いを胸に全力を尽くした成田さん。7つの金メダルを獲得した。そのうちの6種目で世界記録を更新。
パラ競泳選手・成田真由美さんは障害者への理解を広げる活動にも積極的に取り組んだ。原点にあったのは日常生活で感じていた思い。「少なくとも今よりかは、もっと生活がしやすくなるように、みんなの心のバリアフリーも増えてくることを願っている」と話していた。そんな中決まったパラリンピック東京大会。成田さんにとっても朗報だった。東京大会を通じて世の中の心のバリアフリーへの関心をさらに高めたい。成田さんは厳しい練習と並行して、組織委員会の理事にも就任。大会を成功させるために力を尽くした。2021年、東京大会。成田さんは6位入賞を果たした。日本の障害者スポーツをリードした成田真由美さん。どんな困難にも諦めずに立ち向かい、目標に向かって全力で泳ぎ続けた、55年の生涯だった。
パラ競泳選手・成田真由美さん。パラリンピックで金メダル15個以上に輝くものを感じた。バリアフリー社会の実現に向けて、常に前向きに積極的に発信し続ける姿も印象的だった。視聴者から「成田さんは本当にパラスポーツのレジェンドだった。競技以外にも障害者への理解、心のバリアフリー講演などで話していた。努力と実行の水の女王だった」。成田さんのあとを継いで、様々な競技でパラアスリートが活躍している。心のバリアフリーの広がりに向けて、今のアスリート、これからのアスリートが力になっていくのかなと思う。
東京都板橋区・熱帯環境植物館から中継で伝える。熱帯環境植物館には、熱帯の植物が約150種類ある。板橋区立熱帯環境植物館・小野寺知子さんに話を聞いた。板橋区はマレーシアと友好関係を結んでいる。その関係で熱帯環境植物館がある。東南アジアの動植物を主に展示。先月、32周年を迎えた。植物館で「見つけてクイズ」に挑戦する。「ミズレンブ」はフトモモ科。フトモモ科に属する果物はグアバ。「アメダマノキ」の実は酸っぱい。
「盲学校高等部卒業後からブラインドベースボールをプレーしている。去年とことしは地区大会で準優勝。マイナーな競技だが、いつかパラリンピック競技になって競技人口が増えるといいなと思っている」など視聴者からのお便りを紹介した。
