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横田慎太郎さんは、2013年、ドラフト2位で阪神に入団。当時スカウトとして横田さんを発掘した田中さんは、バッティングが一番の魅力、スケールの大きい選手になってほしいなどと話していた。プロ3年目、初めて1軍キャンプに参加。当時の金本監督は、足も速く、肩も強い、飛ばす力もあって、楽しみな選手だと期待していたという。横田さんは、オープン戦に連日スタメンで出場し、ヒットを量産。オープン戦でセ・リーグトップの打率を記録。2プロ3年目、開幕スタメンを掴み取り、盗塁を成功させた。翌日には、プロ初ヒットをマーク。翌年の2017年、1軍キャンプ中、横田さんは目などに異変を感じ、キャンプを離脱。脳腫瘍と診断された。18時間の手術を受け、一命はとりとめたが、闘病生活は過酷だった。髪の毛が抜け、食事ができず、体重が13キロほど減ったという。横田さんの指導役だった北條さんは、最初は、手術したら戻ってこれると思っていたが、お見舞いに行って、髪の毛が抜け、痩せた姿を見たら、野球どころじゃないと思ったなどと話した。半年間の入院後、横田さんはリハビリを開始。手術翌年には、キャッチボールなどができるまでに体力は回復したが、後遺症で視力が戻らず、フライも捕れなくなった。2019年、横田さんは、今季限りの引退を発表。その会見の4日後、横田さんは、現役最後の試合に臨んだ。
2016年4月14日の甲子園初ヒットの映像が流れた。
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2019年9月26日 横田慎太郎さんの引退試合がファーム公式戦で行われた。会場には一軍の選手も駆けつけた。チームの計らいで、横田さんの登場曲「栄光の架橋」が流れる。闘病中この曲に励まされてきたという。8回表、1096日ぶりの出場となった。ポジションは3年前、開幕スタメンを取ったときと同じセンター。打球は視力が戻っていない横田さんのバックホームでアウト。奇跡のバックホームだった。引退セレモニーで横田さんは感極まってすべての人達に感謝を込めて挨拶をした。横田さんが両親に語ったところによると、あの日彼には不思議なことが起きた。「ポジションにつく時に、外野の芝生がキラキラ光り輝いていた」「“前に行け”って誰かが背中を押した」という。最後に残した人生最大のプレーだった。
引退から1年、地元の鹿児島で次なる人生を歩み始めた横田慎太郎さん。しかし今度は脊髄に腫瘍が見つかり、2度目の闘病生活に。横田さんを苦しめたのは目標を失ったことだった。自分が元気になって苦しんでいる人たちを勇気づけたいという新たな目標を見つけ、半年に渡る闘病生活を経て退院した。そこから講演活動に力を入れた。退院から1年、脳腫瘍が再発した。この時、横田さんは治療をやめる決断をした。残された時間はひとりでも多くの人を励ますために使いたいという思いで、体力が落ちていく中、自分の言葉で伝え続けた。講演会は全国70カ所に及んだ。
再発から1年、緩和ケア施設のホスピスへと移った。阪神時代のチームメイトたちも試合の合間を縫って足を運んだ。母・まなみさんは「慎太郎が喜んでくれたような最期」だったと語った。横田慎太郎さんは2023年7月18日、28歳で旅立った。
2016年3月27日のプロ初タイムリーの時の映像が流れた。
横田さんが旅立った2023年に阪神ナインの思いは一つとなり快進撃を続けた。9月14日優勝マジック1、佐藤輝明2ラン、才木浩人7回1失点などあと1イニングで優勝のところ、同期入団の岩崎優が横田さんの登場曲栄光の架橋で登場しベンチの梅野隆太郎が横田さんのユニフォーム24を持ち阪神は18年ぶりのリーグ優勝、岩崎とともにユニフォームが胴上げされた。
2025年8月28日都市対抗野球の開幕戦、決勝ホームランを放った元阪神タイガースの北條史也は横田さんへの思いを込めていたという。プロ生活はケガとも戦いで3度の亜脱臼で手術も余儀なくされ2023年戦力外から2年、プロから社会人へ転向し野球に打ち込んだ。横田さんの指導役だった北條は「ケガばかりして痛いところばかりあってまた頑張れたのはヨコのおかげ。やりたくても出来ないヨコを思ったら全然出来る」と存在が原動力だったと語った。
横田さんが最愛の家族に遺したものは2度目の闘病直後に両親に綴った感謝の手紙だった。手紙の中では脳腫瘍と宣告された自分を引っ張り上げて這い上がらせてくれた、大きな病気をしてグラウンドに戻ることができたのはまちがいなく強い両親のおかげとし「ユニフォームを脱いで今自分の経験を講演等を通して伝えていくことができるのも強い両親のサポートのおかげ」と綴っていた。父真之さんは「僕らは普通のことを慎太郎にしてる訳なんですけどすごくそれに対して感謝して毎回毎回いつもありがとうって言ってくれましたうれしかったです」などと話した。
映画「栄光のバックホーム」で主演を務めた松谷鷹也さんは横田さんを演じるために社会人チームに練習生として参加し、4年間を野球に捧げた。そして今年9月26日には甲子園でのファーストピッチの大役を務めた。横田さんは2013年に鹿児島実業からドラフト2位で阪神に入団。2016年にはプロ初の開幕スタメンを掴むも、2017年に脳腫瘍を発症。懸命なリハビリとトレーニングに励むも目の後遺症は回復せず、2019年に引退。引退試合ではセンターから見事な送球で走者を刺した。横田さんは「センターから見る景色はすごく綺麗だった。ここまで野球を続けてきてよかった」などと話した。
