- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 剛力彩芽 ビートたけし 平子祐希(アルコ&ピース) 藤江萌
貧しさのあまりラリーは銀行強盗を決意したが思いとどまった。その後セールスマンの職を得たラリーだったが、1979年12月にリストラされた。クリスマス・イブを迎え街頭でポップコーンを買ったラリーは、震えながら働く店員を見て「辛いのは俺だけだと思っていたが真冬に上着を買えない人もいる」と感じ20ドルをプレゼントした。この店員の笑顔がラリーの心に明るい火を灯した。ラリーは貯金をおろし、サンタに変身。困っていそうな人や貧しい人に20ドルをプレゼントしてまわった。翌年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立した。その年のクリスマスにもカンザスシティの街中で20ドルをプレゼントする活動を行い、その後も毎年続けた。
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- クリスマスラリー・スチュワート
ラリーはシークレットサンタとして活動すればするほど会社の業績は上昇し、長年精一杯だった生活から抜け出すことができた。やがて20ドルだったお金は100ドルになり、より多くの人にプレゼントした。ラリーの活動はメディアに取り上げられるようになり、その正体に注目が集まった。シークレットサンタを始めて9年前の1987年、妻にシークレットサンタをしていたことがばれた。妻もラリーの活動を応援するようになった。シークレットサンタ17年目、47歳となったラリーは匿名を条件に取材に応じた。匿名の報道がされてから、世間のシークレットサンタへの関心はより高まっていった。シークレットサンタを始めて21年目の1999年、ラリーはある男性に会った。
28年前、無一文にも関わらずレストランで食事をしたラリーは落ちていた20ドルに助けられた。店を出たラリーは、その20ドルは落ちていたのではなく店の人が自分のお金をくれたと気づいた。彼の名はテッド・ホーン。店をやめていたテッドの居場所を突き止めたラリーは彼を訪ね、「あなたが私にしてくれたことを私も人にしようとシークレットサンタを始めた」と伝えた。ラリーはテッドにお礼として1万ドルを渡した。テッドは渡された1万ドルを生活に苦しむ人のために使った。その後ラリーのシークレットサンタの活動は全米に広がった。2001年にはアメリカ同時多発テロ事件があったニューヨークで2万5000ドルを、2005年にはハリケーンの被害を被った地域に7万5000ドルを配った。2006年、58歳となったラリーは自身がシークレットサンタであることを公表した。
2006年、58歳となったラリーは自身がシークレットサンタであることを公表した。この年、彼は食道ガンを患い余命僅かと宣告されていた。反響は大きく、2日間で7000通もの手紙やメールが届き、大半が「自分もシークレットサンタになりたい」というものだった。その年のクリスマス、ラリーはカンザスシティの街中でシークレットサンタとして活動した。2007年1月12日、58歳でこの世を去った。活動期間は28年、配った総額は150万ドルと言われている。ラリーは生前、シークレットサンタ協会を設立。その仲間たちが毎年クリスマスに活動を行っている。
ラリーは自身がシークレットサンタと公表したあとも、自分がこの世を去ったあと迷惑をかけたくないと家族のことは秘密にしていた。彼の死後家族が表舞台に登場することはなかったが、番組は家族の取材に成功した。取材に応じたのは次男のジョンさん。コンサルタント業を営む傍ら、ボランティア活動に尽力している。ジョンさんは「父は他の人々に恩返しをすることでエネルギーを得ていた」「ほんの少しの希望で人生は大きく変わる、自身の経験や人々の反応からそれを目の当たりにして感動を覚えたんだと思います」「ごく普通の父親でした、それでも世の中のために良いことはできます」などと話した。
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平子は芸人なりたて、上京したての頃に松本軍団に遭遇。思わず話しかけてしまい若手芸人に「プライベートなんで」と制されてパニックになっていると「ええよ、こういう子ってホンマにオレのこと好いてると思うで」「いつも見てくれてるんや、ありがとうね」と言われ握手されたと話した。
エンディング映像。
「ホンマでっか!?TV」の番組宣伝。