- 出演者
- -
旅の始まりは隅田川の上空。江戸初期に人工的に作られた神田川。源流は西へ25km。まず、見えてきたのは柳橋。明治14年創業の江戸前佃煮の小松屋。柳橋は江戸中期から栄えた花街で最盛期には約400人もの芸者を抱えた。粋な客たちは柳橋で一杯ひっかけ、芸者の三味線に見送られながら船で吉原へ。それが江戸っ子の粋の遊び方だったという。柳橋の船溜まりが江戸一と称された花街の名残だった。柳原通りは神田川工事の際に築かれた大きな土手に人が集まるようになり庶民に手が届く古着の露店が増加し江戸で大人気の古着マーケットとなった。名残から岩本町・東神田ファミリーバザールでは衣類の問屋さんが集まって行うイベントを開催している。
万世橋に到着。左は神田駅、右は秋葉原駅につながる場所。神田川は江戸の物流を支える川。明治時代、東北からの貨物列車は上野駅止まり。そこで1890年に貨物船 秋葉原駅が開業。秋葉原駅まで運び神田川で東京中に運んだ。物流の一大拠点だった秋葉原。東京屈指の中心駅・万世橋駅。1912年に開業し東京駅よりも先に中央線のターミナル駅として活躍した。人や路面電車が行き交う交通拠点に。中央線の起点駅だったが東京駅まで延伸したことで途中駅になり、上野~神田間も開通したことでターミナル駅としての機能を消失。
神田川は人工的に作られた川。誕生のきっかけは江戸城を悩ませていたある大問題。それは江戸城をそばを流れる平川の洪水。丸ノ内線が飛び出す理由は元々、台地だった場所を掘り下げて神田川を通したから。ここから隅田川までの神田川を徳川家康を作らせた。神田山を削る工事を行ったのは伊達政宗。続いて聖橋。出来たのは昭和2年。実は若き2人の設計者の東京の未来を見据えた思いがあった。100万人の犠牲者を出した関東大震災。復興事業の1つとして聖橋ができた。人々を勇気づけるため優美さと頑丈さを持ち合わせた重厚なコンクリートアーチ橋になった。水道橋の由来は水道の橋があったから。神田浄水は江戸の街に飲料水を供給するために作られた日本初の上水道。江戸城周辺は井戸を掘っても海水ばかりで飲料水に乏しかった。水道の開発は生活水準を高め江戸は人口100万人を超える大都市となった。
水道1丁目~2丁目。当時の神田浄水が流れていたことが由来とも言われている。江戸と東京の成り立ちに欠かせないグルメがある。天保6年創業、うなぎの老舗・江戸川橋はし本。ウナギと神田川は密接な関係がある。生け簀代わりに川の水を使用していた。当時の神田川はウナギが穫れるほど綺麗な川でホタルの名所でもあった。神田川沿いには多くの鰻屋さんで賑わった。
ホテル椿山荘東京へ。江戸以前から椿の名所だった山を明治の元勲・山縣有朋が購入し庭園を整備して誕生した。その後、大正天皇が度々訪れたり、日本の発展に欠かせない場所になった。椿山荘のあるエリアは地下水が豊富で神田川にも流れ込んでいる。この地に湧く地下水を使用した東京雲海は国内最大級の霧の園庭演出。
明治15年創業の老舗の染物屋・富田染工芸。江戸小紋は機密な模様の型を使用して染める伝統工芸品。染物は川の水を利用して生地の糊落としを行っていた。現在は豊富に湧き出る井戸水を水路に流し従来の手作業を続けている。
