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オープニング映像。
工藤俊次さんはマグロに命を捧げた漁師。心臓にペースメーカーが入っていて水分補給は欠かせない。電気ショッカーは使えず、マグロは銛のみで仕留める。当時300kg超えは龍飛の最大記録。ダンブ漁はマグロが喰い付くとダンブ(浮き)が回転する。2007年、当時70歳だった工藤さんは仲間とともにマグロを釣り上げた。釣り上げたマグロは後に302kgあることが判明。
2012年10月中旬、番組は工藤さんが亡くなるまでの1か月に密着していた。小ぶりの60kgのマグロを釣り上げた。工藤さんは今、海を見渡す高台で静かに眠っている。水嶋さんによると、工藤さんはマグロの巻き上げ機の所に倒れていた。テグスを手にしたまま命を終えたという。また、孫の謙心さんはこの春から中学校の先生になった。工藤さんは「死ぬなら船の上で死ぬ」と言っていたという。
マグロ漁師の山崎倉さんと出会ったのは2010年の秋。海は荒れていたが山崎さんは漁に出た。必死の思いで釣り上げたマグロがたとえ小ぶりだったとしてもがっかりしないことが信念。
この日選んだエサはスルメイカだが中々喰いつかない。他の漁師たちはフクラギでマグロを釣り上げていた。ソナーで群れを見つけるやまたイカだけを投げて、マグロを釣り上げた。-2℃の中、生け簀の掃除も行う。怠るとエサの鮮度が落ちるという。手袋もはめず素手で作業を行う。
2021年、山崎さんは大病を患い退院したばかり。中飲みは釣り針が喉や胃袋に刺さること。釣り上げたマグロは207kgだった。山崎さんは2023年9月1日に永眠、享年73歳。
山崎さんには生前年賀状のやり取りをしていた人物がいた。高田綾太さんは当時14歳で夢はマグロ漁師になること。高田さんは山崎さんの船に乗った。この年の津軽海峡には10月の下旬からそこかしこにサンマの群れがいて、マグロも跳ねる。この日はサンマで勝負。高田さんは熊谷さんの船に乗った。
1本100万円はするであろうマグロを逃がしてしまった。高田さんは山崎さんの船に戻った。マグロは授かりものでチャンスなんてそうそうあるものではない。その後、マグロが釣れた。
12年後、3月下旬。高田さんは25歳になっていた。山崎さんが乗っていた船は遺族や仲間たちの手で今も往年の姿を留めている。高田さんは水産高校に進学し、現在は遠洋のマグロ延縄船に乗り、船長に抜擢された。山崎さんは「マグロは選んで獲れない」などと話していた。
大間はここ数年延縄漁を行う大きな船が主流になってきた。ソナーは1000万円以上かける漁師もいる。小浜文雄さんは大間の最長老漁師。乗り込む船は少しの波でもひっくり返りそうな小さな船。ソナーも電気ショッカーもなく、あるのは古びた魚群探知機だけ。小浜さんを師と仰ぐのは細間正樹さん。小浜さんがこの世を去って3年が経った。
小浜さんと初めて出会ったのは2004年。極太の針に仕込んで作る仕掛けは何十年も改良を重ね完成させた自信作。若い頃からトビウオにこだわり続けた。2006年に釣り上げたマグロは207kg、大間中を驚かせた。細間正樹さんの父に頼まれ、漁も教えたという。小浜さんを支えていたのは妻のかつさん。2人はバツイチ同士の晩婚カップル。キャバレーに勤めていたかつさんに一目惚れし通い詰め、とうとう口説き落とした。かつさんは小浜さんが漁に出る日は早起きして握り飯をこしらえる。
小浜さんは携帯電話を漁の帰りに海に落としてしまい、壊れてしまった。大間に携帯ショップはなく、買い替えるためにバスで1時間以上かけむつ市の市街地へ。翌年には船のエンジンが壊れ、借金をした。2018年には米を注文したが量を間違え90kgも届いてしまった。かつさんに少しでも楽をさせようとブリ漁にも出て、必死に働いた。かつさんは小浜さんについて「根っからの海の男」と話す。2018年、この日は昼から海が荒れる予報だったが漁に出た。
「家、ついて行ってイイですか?」の番組宣伝。
海が荒れ波も高くなった。引き返すしかないと思われた矢先、マグロがかかった。小浜さんはテグスを切り始めた。30kg未満のマグロは海に流す他なく、小浜さんの最後のマグロ漁となった。小浜さんは2023年3月24日に永眠、享年92歳。小浜さんが残してくれたものは、細間さんは「漁師根性」と話す。
