- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 久保田和也 森一政
蛇口から清潔な水をくめる生活はこの国の悲願だった。1970年代から20年以上内戦が続いたカンボジア。水道網は破壊し尽くされ復旧しようにも肝心の技術者は虐殺されていた。汚れた水が理由で病気がまん延する事態を打開する技術が欲しい。その時立ち上がったのは日本の地方都市で働く水道技術者たちだった。
オープニング映像。
カンボジア内戦後の首都プノンペンでは7割以上の家庭に水道が届かず、川などの水をバケツでくんで何度も家と往復して生活水を確保していた。今夜の主役はそんなカンボジアに清潔な水を届けようと奮闘した北九州市水道局。
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- プノンペン(カンボジア)北九州市水道局
1981年。北九州市役所で一人の新人が頭を抱えていた。地元の高校を卒業したばかりの久保田和也は望まぬ部局に配属されていた。水道局は強烈な結束で知られ「水道一家」の異名をとっていた。苦労は多いのに光の当たらぬ仕事だと思った。水道局で18年目を迎えた時のことだった。水道一家の親分、部長の森一政に突然「半年間カンボジアに行ってくれないか」と言われた。内戦が7年前に終結したばかりのカンボジアは治安は改善したものの傷痕は深く銃犯罪も横行していた。そんな中、復興を支援するJICAは日本の水道技術者の派遣を要請。森が水道局に入った1972年。工業地帯を抱える北九州は深刻な環境汚染と闘っていた。汚染された水を浄化しなければ水道水が確保できず、苦労を背負ってきた。
1999年、久保田はカンボジアの首都プノンペンに降り立った。人口およそ100万。しかし暮らしを支える水道は劣悪そのものだった。日本のJICAやフランスなどの支援で新しい水道網の建設は進んでいた。それを維持管理する技術者を育てるのがミッションだった。かつて独裁体制を敷いたポル・ポト政権は教師や医師などの知識人を徹底的に弾圧し虐殺。水道技術者も命を奪われた。久保田の任期は半年。そこそこに仕事をしようと思っていると一人の男が訪ねてきた。エク・ソンチャンはもともとは高校の物理教師。ポル・ポト政権下家族全員を虐殺され身分を隠して生き延びた。ポル・ポト政権崩壊後は祖国復興のため官僚に。ソンチャンは「庶民は清潔な水が高くて買えず汚れた川の水をくんでいること。まん延するコレラ。そして水くみ労働で子どもは遊ぶ時間すら奪われていること」を久保田に語った。ソンチャンは水道公社にはびこる汚職を一掃すべく信頼できる10人の部下を中心に改革を断行していた。久保田は水道技術のいろはからカンボジアのスタッフに教え始めた。この国に希望の水を届けたい、国境を越えたプロジェクトが静かに始まった。
久保田和也さん、森一政さんが登場。問題は山積みだった。水道網の大量の漏水、そして水道水の質も劣悪。更に施設の維持管理を十分にできる熟練の技術者もほとんどいない状況だった。
一刻も早く安全な水を届けたい。しかし浄水場から送り出した水の半分近くが漏水で失われ家庭に届いていなかった。場所を特定するだけで途方もない作業だった。半年の任期は瞬く間に過ぎた。帰国した久保田は決意を固め上司の森に北九州と同じシステムを導入したいと直訴。上司の森は無謀だと思ったが久保田の話しぶりに心が動いた。さらに久保田から日本の最新システムの話を聞き自分の目で学びたいとソンチャンが北九州にやって来た。水道局を挙げてカンボジアの復興を支援する。中古のテレメーター42機を提供、更に設置と指導のため水道局の精鋭を交代で派遣することにした。しかしいざ着任してみると職員の質問攻めに驚いた。北九州市水道局のメンバーは交代で赴任しながら技術を伝えた。4人目の菊地克俊が赴任した時のことだった。隣国タイとの領土問題がヒートアップしタイ大使館を焼き打ちにする暴動が起きた。危険を感じた菊地はホテルに戻ったがそのホテルはタイ資本だった。暴徒たちは1部屋ずつ襲撃し迫ってきた。菊地は部屋に鍵をかけバスタブに隠れた。幸い危害は加えられず菊地は裸足で脱出して日本大使館に逃げ込んだ。
日本で事件を聞いた久保田。間もなく事態が収まった時森に意外な提言をしたのは九死に一生を得て帰国した菊地だった。「テレメーターはもう少しで完成します。もう一度行かせてください」。浄水場の運営一筋20年。おとなしく控えめだがコツコツと技術の改良に取り組んできた。菊地は家族を残しもう一度プノンペンへ、任期を全うした。2004年、テレメーターの設置は完了。なぜか新しい水道管で水漏れが起きていた。現場を掘り起こすとやっかいな問題「盗水」が浮かび上がってきた。あちこちで水道管が切断され勝手につくった分岐から水が抜き取られていた。水道料金を払わずに水が使えると市民の間に手口が広がり始めていた。
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- プノンペン(カンボジア)北九州市(福岡)
盗水について。久保田さんは「素人が見よう見真似で悪い分岐をする、漏水も出てくる」などと話した。
水道管を破壊し尽くさんばかりに広がる盗水。止めるには地道に犯罪の証拠をつかみ警察に通報するしかない。しかし内戦で使われた銃をいまだに隠し持つ市民もいる。盗水の摘発で逆恨みされれば命の保証はない。この時プノンペンにいたのは2度目の派遣となった久保田だった。カンボジアの職員は盗水の摘発に総力をあげた。
一方の久保田はデータ解析に専念。ある日奇妙なグラフに気付いた。水の使用量を表すグラフをよく見ると深夜2時間おきに30トンもの水が使われていた。ふと日本で似た波形を見たことを思い出した。火災の鎮火のため消火栓を利用した時の波形だった。しかしこの日プノンペンで火災は起きていない。とすると。現場で張り込みが始まった。3日目、タンクローリーが横付けし消火栓から水を吸い上げ始めた。水道網が整わないカンボジアでは水が届かない地域に盗んだ水を売りさばく犯罪者たちがいた。警察、弁護士の力を借りてこの犯罪者たちを完全におさえ込んでいった。そして久保田は最後の課題に向かった。「水質を改善して飲める水道水に挑戦しませんか」。水道水をそのまま飲める国は世界でも一握りでハードルは極めて高い。上司の森は既に動いていた。人脈を生かし援軍を呼んでいた。水質の研究に優れる横浜市水道局の専門家である。彼らの協力を得て水源となる川の微生物や有害物質の種類を調べ上げていた。分析結果をもとにどんな薬剤をどれくらい入れるべきか水質改善の方法を確立していった。
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- プノンペン(カンボジア)横浜市水道局
2004年7月、プノンペンの職員が浄化した水が横浜の試験場に運ばれた。日本の水質基準50項目をすべてクリア。自信を持って飲める水と言える数字だった。プロジェクト開始から今年で25年、プノンペンの人口は200万を超えた。水道網も広がり続けている。この日も郊外の貧しい村に水道が開通。かつてアジア最低といわれた水道の劇的な改善は「プノンペンの奇跡」といわれる。水道の水質が日本の基準をクリアしたことをメンバーは「流しそうめん」で祝った。
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- プノンペン(カンボジア)横浜市水道局
久保田さんは「カンボジアの経験をさせてもらって、水道というのは人間にとってものすごく壮大な事業だと勉強させてもらった」、森さんは「この事業は成功だったとずっと思っている」とスタジオコメント。
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- カンボジア
プノンペンの奇跡以降、北九州の水道局の活動は世界各地に広がった。ベトナムやエチオピアなど劣悪な水環境に苦しむ国々に水道技術を伝え続けている。水道公社を率いたエク・ソンチャンはその功績がたたえられアジア版ノーベル賞といわれるラモン・マグサイサイ賞を受賞した。今、カンボジア全土で水道技術者が育っている。教えているのはプロジェクトで学んだペン・ティ。当時から続く日本の習慣がある。朝礼。互いの目を見て連帯する大切さを国境を越えたあのプロジェクトで学んだ。命の水は今日も笑顔を運んでいる。
エンディング映像。
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜の次回予告。