- 出演者
- 有馬嘉男 国井雅比古 久保純子 高野甲子雄 浅見昇
23日、東京・文京にあるホテルでは高層階の火災を想定した消防訓練が行われた。消火活動や避難誘導を行うのはホテルの従業員からなる自衛消防組織。自衛消防組織は消防法で義務付けられ、このホテルでは毎月訓練が行われている。こうした徹底した消防訓練は、過去、最悪とも呼ばれた火災事件を教訓に行われている。
1982年、東京・赤坂のホテルニュージャパンで史上例のない火災事故がおきた。オーナーは横井英樹。防火設備はずさんだった。壁紙のしたは穴だらけのブロック、スプリンクラーは飾りだった。100人を超える人が逃げ遅れた。その時、炎の中に飛び込んだ男たちがいた。それが、東京消防庁特別救助隊の精鋭たちだった。これは史上最悪の火災に立ち向かった伝説の消防士だちの物語。
オープニング映像。
昭和57年、2月8日、東京・赤坂のホテルニュージャパンで火災が起こった。この火災で33人が亡くなった。その影で66名が消防隊の救助活動で助けられた。
- キーワード
- ホテルニュージャパン赤坂(東京)
昭和54年、日本はホテルブームに沸いていた。この年、東京・赤坂のホテルニュージャパンが買収された。地上10階、500室。開業から19年、客足が落ちていた。買収したのは66歳の横井英樹だった。横井は建物を改装し豪華にした。古びたホテルは豪華ホテルに変わった。そのころ東京消防庁で高野甲子雄が特別救助隊の試験に挑んでいた。試験には屈強な大男たちが挑戦していた。その中で高野は身長165cm。体格のハンデが大きく、これが4度目の挑戦だった。見事合格し憧れのオレンジの制服をきた。2年半後、高野は東京・永田町の特別救助隊で1つのチームの隊長を任されていた。屈強な5人の男たちが部下だった。昭和56年12月、高野はホテルニュージャパンの視察に出かけた。建物の構造は迷路のようで壁を叩くと空洞のような音がした。天井にはスプリンクラーがなかった。法律違反だったのでホテルニュージャパンに警告を出した。横井英樹は改善を約束し、まもなくスプリンクラーを取り付けた。しかし水がでない飾り物だった。経費を浮かすため加湿器も止めていたのでホテル内は異常に乾燥していた。昭和57年2月7日、ニュージャパンの9階の938号室にイギリス人ビジネスマンが宿泊していた。イギリス人ビジネスマンはタバコを吸っていた。麹町消防署 永田町出張所では高野たち特別救助隊6人が泊まり勤務だった。就寝前、家族の話で盛り上がっていた。隊員の浅見昇は1歳の娘の写真を持ち歩いていた。昭和57年2月8日、午前3時39分、火災の連絡が入った。
火災現場に向かわれる時のことを聞かれ高野甲子雄は「炎焼中、逃げ遅れがたくさんいると続報が入ってくるので気持ち的には凄い緊張が走った 」などと話した。特別救助隊は人命救助を専門とするプロの集団。ホテルニュージャパンの見取り図を紹介した。
- キーワード
- ホテルニュージャパン
高野たちはまっさきにホテルニュージャパンに到着。見たこともない巨大な火柱が上がっていて、9階と10階に逃げ遅れた人たちがいた。1人の女性客が9階から飛び降り死亡した。高野たちは隊員たちに落ち着けといい建物に向かって走り出した。そのころ、横井英樹は自宅にいて、ロビーの家具を外に運び出せと指示をしていた。高野たちは空気ボンベをつけ、9階まで駆け登り、非常口を見つけたが扉があかなかった。午前4時過ぎ、消防車128台がニュージャパンに集結。ハシゴ車では近づけない部屋もあったという。扉が開かなかったので高野たちは屋上へと向かった。上から覗き込むと、飛び降りようとしている韓国からの旅行者を発見した。高野はロープを投げ、この旅行者を助けた。さらに9階の部屋から声が聞こえ、高野は突入することに決めた。こうして9人を救出。すると助け出された1人がまだ、1人奥にいると叫んだ。全員がその部屋をみると、激しい炎が部屋に襲いかかろうとしていた。
スタジオでホテルニュージャパンの模型を使って解説。高野らは非常階段を上がり屋上まで駆け上がった。938号室が火元。1032号室で2人を助け。976号室で7人を助け出した。その後、1032号室にもう1人、残された人がいることを知った。
- キーワード
- ホテルニュージャパン
救出にはいるには危険すぎる。しかしそこには取り残された人がいる。高野はこのまま見殺しにしたら、あと何百人の人を助けても自分としては見てみぬフリをしたという悔いが残ると思い、助けることにした。高野は一番素早い、浅見を突入させた。浅見は部屋で倒れている男性を見つけた。その瞬間、ボンベ空気がなくなるベルの音が鳴り響いた。隊員たちは命綱を引き、屋上に戻された。浅見はもう一度行くと行ったが、高野は俺が行くと10階の部屋に突入した。大柄の男性を見つけロープで縛った。抱え上げ窓際まで運びロープを引っ張るよう合図を送った瞬間、フラッシュオーバーが起こり、高野は火に包まれてしまった。隊員たちは夢中でロープを引いた。すると火柱の中から男性を抱えた高野の姿が見えた。2人は屋上に引き上げられたが2人とも大火傷を負っていた。7時間後、火は消し止められた。亡くなった宿泊客は33人。消防士たちが救い出したのは66人だった。高野はホテルにほど近い病院に運び込まれていた。病室にスーツ姿の男がやって来た。分厚い風呂敷包みを差し出し「横井社長から預かって参りました」と言った。高野は「どれだけ多くの人が亡くなったのかわかっているのか?それを持ってでていけ」と怒鳴りつけた。まもなく、隊員たちがやって来た。みんな、ススで真っ黒になった防火服のままだった。高野の姿をみて全員泣き出したという。
- キーワード
- ホテルニュージャパン東京消防庁横井英樹
隊員が病院に駆けつけてくれたことは覚えてますか?という質問に高野甲子雄は「みんな、真っ黒い顔をして疲れた顔をしていた。自分だけこういう所で寝ているのは申し訳ないと思った」などと話した。ホテルニュージャパンの火災では、600人以上の消防士が消火や人命救助にあたり、66人が救助された。この火災で学んだことは?と聞かれ浅見昇は「チームでスクラムを組んでいかないと大きな災害には立ち向かっていけない」などと話した。高野甲子雄は「66人を助けられたけど、33名が亡くなった。我々としては残念。死を無駄にしない、今度あったら全員助けられる、それくらいの部隊づくりを心がけている」などと述べた。
- キーワード
- ホテルニュージャパン
平成5年8月、横井英樹社長に判決が下った。業務上過失致死傷で禁錮3年の実刑だった。浅見昇は火災を終えた後、2日ぶりに家に戻り1人娘を抱きしめた。麻裕子さんは今年20歳。2年前、母からニュージャパンの火災事故で父が奮闘したことを始めて知らされた。麻裕子さんは父の44歳の誕生日に外国製のライターと短い手紙をプレゼントした。フラッシュオーバーの炎に包まれた、隊長の高野甲子雄は病院のベッドで助けた男性が亡くなっていたことを知った。その後、高野は1000を超える現場で多くの人たちを救い出した。東京シューズ流通センター火災の時は煙にまかれた隊員を炎の中に飛び込み助けだした。阪神・淡路大震災のときは休暇を取って現地に入った。
ホテルニュージャパンの火災から約40年、とある研究所では火災のメカニズムあらゆる角度で分析し被害を最小限に防ぐ研究が行われている。この火は、耐火性能をもたせた木の梁を燃やす実験が行われた。松山賢は「火災で被害をこうむる方々を減らしていきたい」などと話した。
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜の番組宣伝。