2025年8月23日放送 20:07 - 20:55 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
QRコード誕生〜夢路に咲いた世界標準〜

出演者
有馬嘉男 森花子 長屋隆之 原晶宏 渡辺元秋 
(オープニング)
QRコード誕生 夢路に咲いた世界標準

QRコードは新時代の発明と称された。これは自動車メーカーの片隅で不器用なエンジニアたちが世界標準の夢に挑んだ執念の物語。

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QRコード
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

森花子らの挨拶。今回は日本で誕生したQRコードの開発物語。横一列のバーコードで記憶できるのは数字13桁が限界だった。QRコードはカナ・漢字であれば約1800字。英数字であれば4300文字まで記録できるようになった。QRコードは瞬時に読み取る「Quick Response」の頭文字を取ってQRコードと名付けられた。開発したのは自動車部品メーカーのエンジニアたちだった。

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QRコード
QRコード誕生〜夢路に咲いた世界標準〜
QRコード誕生 夢路に咲いた世界標準

1990年、日本の自動車産業は活況のさなかにあった。中でもトヨタ自動車は年間生産台数489万台で世界の頂へと迫っていた。その躍進を支えたのがトヨタ生産方式だった。必要なときに必要な量を生産し在庫を最小限に抑えた。その支えの一つがバーコードだった。部品の種類や行き先などの情報が記録されていた。バーコードの読み取り機の開発は自動車部品メーカーの中の小さな部署で行われていた。1992年のある日、エンジニアの原晶宏の元に、工場の作業員から「バーコードの読み取りが大変。工場が混乱している」という電話が入った。工場を訪ねると1つの部品箱に10個以上のバーコードが並び作業員が1つ1つ読み取っていた。車の多機能化が進み部品の情報量が急増したためだった。原はすぐに解決策を考えた。自動車メーカーに就職しながらも読み取り機開発一筋の一匹狼だった。原が目をつけたのはアメリカの2次元コード。コードを取り寄せ検証するも読み取りの精度が低く時間もかかった。原はこれはチャンスだと思った。原の父は電子部品の分野で特許を持つ腕利きのエンジニアだった。原は高校生の時のよく父と囲碁を打っていた。そのときに世の中に無いものを作るエンジニアになりたいと父に打ち明けた。寡黙な父は「蒔かぬ種は生えぬと」と言った。2次元コードの開発は原にとって父を超える挑戦でもあった。上司に直談判し2年の時間をもらった。原は父が元気なうちに成果をださないといけないという思いで2次元コードの開発に命を懸けた。メンバーは渡辺元秋と2人だけだった。渡辺は生真面目で口下手なエンジニアだった。指示待ち人間だった渡辺は自らをコバンザメと卑下していた。

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デンソートヨタ自動車原文雄
スタジオトーク

1人でもQRコードの開発ができると思っていた?と聞かれ原晶宏は「半々くらいでしたね。一人でも勝負したいと思っていた」などと話した。当時アメリカで使われていた2次元コードを紹介した。情報よりも読み取りやすさから入っていったという。

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QRコード
QRコード誕生 夢路に咲いた世界標準

1992年夏、世界標準の2次元コード開発が始まった。アメリカで先行していたコードの致命傷は読み取り速度が遅いこと。原因は周りの文字や記号に埋もれてコードの位置を特定できないことだった。ある日、原は電車に乗っているときにビルの窓を見て、周りと違う目印を付ければいいんじゃないかと思いついた。最大の課題はどんな目印にするかだった。2次元コードの目印は単純かつ珍しい形でないといけない。渡辺は目印を読み取るプログラムを作ってみるとぼそっと言った。渡辺は原が書いた目印をどれくらいの速さで読み取れるのかを検証していった。そしてもう1つの壁が汚れに強くすること。そのために必要なのが誤り訂正という機能だった。誤り訂正は乱れたデータを修復するための技術。誤り訂正はかなりコードな計算を要するため2人には太刀打ちできなかった。2人は豊田中央研究所に助けを求めた。2人の眼の前に現れたのは長屋隆之。長屋は人工知能の研究をしていたが思うような成果が出せず、転職を考えていた。原は長屋に世界標準の夢を語った。長屋には当時結婚を考えていた女性がいた。開発に加わった翌月、相手の両親に挨拶に行ったとき結婚はもう少し待ってくださいと伝えた。誤り訂正の知識はなかったが1から専門書を読み漁り続けた。渡辺と原はどうしたら単純かつ珍しい形を作り出せるか。頭で考えるのに限界が来たので世界中の印刷物を集め、そこに印刷されている文字や記号をモノクロにしてパソコンに取り込み、白と黒の比率をしらみ潰しに調べた。期限まで残り半年、プロジェクトは暗証に乗り上げた。

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豊田中央研究所
スタジオトーク

総当たり作戦について原晶宏は「あの中にそんな比率があるとは僕も思ってなかった成功が1で、失敗が9くらい」などと話した。コバンザメじゃないと言われ渡辺元秋は「開発してる間に成長した」などと話した。

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QRコード
QRコード誕生 夢路に咲いた世界標準

残り半年、もう無理かもしれないと思ったときに、脳梗塞に倒れた父が囲碁を打っている写真が送られてきた。原は目印を見つけるためひたすら読み取りを続けた。そして3ヶ月が過ぎた時、出現率が圧倒的に少ない比率があった。それが1:1:3:1:1という比率だった。どこから読み取っても1:1:3:1:1の比率が現れるシンプルな正方形。それを目印にすることでまったく新しい2次元コードの原型ができあがった。あとは長屋に託された。汚れても読み取れる誤り訂正機能をコードに組み込む。長屋が目をつけたのはリード・ソロモン符号という高度な数学を用いた手法だった。長屋はそれを応用しジョードが最大30%汚れても正しく読み取れることを目指した。1ヶ月後、ついにプログラムを組み上げた。完成したコードにカメラをかざすと瞬時に読み取った。読み取り速度は圧巻の0.03秒。アメリカの2次元コードの10倍以上の速さだった。その速さからQuickResponseの頭文字を取ってQRコードと名付けられた。工場に導入されると作業工程が飛躍的に上がったと感謝の声が相次いだ。しかし原の挑戦はまだ終わっていなかった。QRコードの国際標準化。国際標準化機構に交渉にあたったのは辻本有伺。その交渉は難航を極めた。原は、誰でも使えるようライセンスや使用料は無料にすることにした。2000年6月、QRコードは国際標準として承認された。その後、携帯電話に読み取り機能が搭載され日本中の人々がQRコードを使うようになっていった。

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QRコード国際標準化機構
スタジオトーク

原は「一般の方が街中で使ってくれてるのを見て、それが一番嬉しかった」などと話した。QRコードが完成し長屋隆之は彼女にプロポーズしたという。QRコードは最初、QuickTagでQTコードと名付けた。会社で名前を決める話し合いをしたときに、キューティーハニーを連想させるということでQRコードに決まったという。

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QRコードキューティーハニー
QRコード誕生 夢路に咲いた世界標準

世界標準となったQRコードはその後、急速に広まり社会に欠かせないものとなった。その功績を称えられ2014年、日本人初となる欧州発明家賞を受賞した。渡辺元秋は今もエンジニアとして企画開発を行っている。原晶宏は今も会社に残り後輩の育成をしている。

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欧州発明家賞
(エンディング)
エンディング

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