2024年3月10日放送 3:00 - 3:50 NHK総合

明日をまもるナビ
(75)東日本大震災から12年 あの日 何をしていましたか

出演者
塚原愛 
(オープニング)
オープニング

2011年3月11日、東日本大震災が発生。「あの日、何をしていましたか?」というプロジェクト、これまでに1700件の投稿が寄せられた。震災から12年がたった今年、より多くの人と震災の記憶を共有したいと、集まった言葉をトラックに乗せ東京から岩手を巡った。「あの日」の記憶と向き合い明日にどう繋げていくかを考える。

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あの日、何をしていましたか?岩手県東京都東日本大震災
(明日をまもるナビ)
あの日 何をしていましたか? ~東日本大震災から12年~

関東大震災から100年、NHKでは「命をまもる 未来へつなぐ」を合言葉に防災・減災への取り組みをスタートしている。「あの日、何をしていましたか?」という問い掛けに1700件を超える投稿が寄せられている。村上弘明は「娘の卒業パーティーが都内のホテルであったので、それに向かってる途中だった。実家に連絡したが取れなくて、眠れない夜を過ごした」などと話した。今回は、投稿をトラックに乗せて5箇所を巡る度に出た。

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あの日、何をしていましたか?仙台市(宮城)代官山(東京)日立市(茨城)東日本大震災関東大震災飯舘村(福島)

1700の投稿をのせた旅を伝える。東京の代官山からはじまった。ある男性は、地震が起きた時、すぐに家族に連絡をしたという。避難所でオロナミンCを5人で1本を飲んだ思い出があるという男性もいた。代官山から茨城県日立市に向かった。日立市は800の家屋が被害を受けた。この町で過ごしてきた2人の女性。防潮堤ができて海が見えなくなったという。あんな規模の津波がくるとは思ってなかったという男性。いままで一度も見たことがなかった海の表情だったという投稿があった。茨城も液状化したり、被害があったという。東日本大震災をきっかけにインフラにの仕事についたという男性がやってきた。道路の整備をしているとのこと。

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NHK仙台放送局 ホームページさいたま市(埼玉)オロナミンCドリンク代官山(東京)千葉県愛知県日立市(茨城)東日本大震災石巻市(宮城)福島県長野県

スタジオでは「ニュースで当時触れられてこなかったところでもこれだけの被害があったのは驚いた」、「極限状態でも人に物を分け与えられるのは素敵だと感じた」などの感想が出た。またNHK仙台放送局 ホームページに寄せられた被災体験のエピソードでは卒業シーズンで卒業式の時の震災の話などを紹介した。

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NHK仙台放送局 ホームページオロナミンCドリンク日本電信電話東京駅東日本大震災福島第一原子力発電所陸前高田市(岩手)飯舘村(福島)

福島県・飯舘村は原発から約40kmの地点にあり、一時は全村避難となった。飯舘村は6年前に一部地域を除いて避難指示が解除されたが、戻ったのは震災前の1/4の人口にとどまっている。村では当時避難所で津波被害に遭った地域の人とどちらの方が悲しかや震災直後に進学のため不安の中1人で東京に上京した人の声などを紹介した。

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東京都東日本大震災福島第一原子力発電所飯舘村(福島)

スタジオでは「震災後の選択は今後の未来も含めて考えていって欲しい」、「原発問題など飯舘村ではまだ震災は続いている」などの話が出た。

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仙台市(宮城)東日本大震災秋保温泉陸前高田市(岩手)飯舘村(福島)

展示を行ったのは内陸にある秋保温泉。食い入るように見ていたのはあの日が卒業式だったという投稿。少年は当時幼稚園に通っていた。ほとんど覚えていないというあの日のことが気になっているという。記憶がなくても写真や動画を通して伝わることが今後何かに役立ってくれると思うことしかできないと綴った。福祉関係の仕事をしているという男性は、幼い娘に本当にこういう事があったということを話していかなければいけないのか、難しいと話した。最後に向かったのは岩手県陸前高田市。津波で多くを失った。投稿をじっくり読まずに帰る人が多かった。陸前高田市で生まれ育った男性は仕事中だったという。慰霊碑には多くの同級生の名前が刻まれ、電話帳に残っているアドレスはそのまま残しているという。3月11日だけは生きなければ、という気持ちにさせられるという。津波で友人や知人を亡くした男性は、命があればなんとかなると話した。

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仙台市(宮城)東日本大震災秋保温泉認知症陸前高田市(岩手)

陸前高田市に何度も足を運んでいたという村上弘明は、撤去された瓦礫の下から夏草が生えていることに気づき、生きているというメッセージを伝えられたという。その瞬間にこの街は再生すると感じたとのこと。山之内すずは震災の日にもう一度思い出すきっかけを作ってくれるのは大切なことだと思う、等とコメントした。

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福島と神戸の絆 ~思いを歌にのせて~

福島県二本松で活動を続ける、福島しあわせ運べるように合唱団。きっかけは、合唱団の名前にもなっている「しあわせ運べるように」という歌との出会い。28年前の阪神・淡路大震災の神戸の小学校の音楽の先生が作った、被災地を勇気づける希望の唄。東日本大震災の後、歌は東北の被災地にも届けられた。歌詞は、神戸を福島、故郷に変えて全国で歌い続けてきたという。

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福島しあわせ運べるように合唱団の練習は、毎週土曜日に欠かさず行われる練習。団員は、小学生から大学生までの29人。今年20歳になる伊藤万里奈さんは小学5年生のときから歌っている。震災直後、二本松市には原発事故で全町避難となった浪江町の人が多く避難していた。仮設住宅に暮らす人のために万里奈さんたちが歌ったのは「しあわせ運べるように」だった。その後も合唱団は、毎年のように浪江町に通い、復興のために自分たちができることを考えてきた。この1年、大切に歌ってきた「いつかまた浪江の空を」。浪江町出身のシンガーソングライターが、避難先から故郷を思い作詞した曲。そんな福島の子供達を神戸から見守り続ける人がいる。震災で9割の店が全焼した長田の商店街で、復興の先頭に立ってきた伊東正和さん。神戸と福島をつなぎ共に歩みたいと、3年前合唱団のためにステージを用意したのが伊東さんだった。そして去年12月、合唱団は福島の新しい歌とともに再び長田を訪れた。震災から28年、商店街は元の姿はまだ取り戻せていないという。商店街のために何ができるのか、伊東さんは今年大きな決断をし、商店街の理事を退き30代の若い理事長に未来を託したという。この日、新理事長に福島の子供達の歌声を聞いてほしいと声をかけた。伊東さんは「お互いが頑張ってるから俺らも頑張ろうという形になっていけたら素晴らしい」などと語った。

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山之内すずは「阪神・淡路大震災復興の希望となった歌が、福島の方でも歌われているのを初めて知った。神戸で生まれた人間として嬉しい。いろんなところで語り継がれていってほしい」などとコメント。村上は「世代交代も含めて語り継いでいく行為は、生きる上での本分なんじゃないか」などとコメント。浪江町では現在も、町外での避難生活を続けている方がいる。そんな状況のなか、4月で残されていた帰還困難区域の避難指示が解除される。合唱団は、3月18日に東京・多摩市で開かれるコンサートに参加して、浪江の歌を歌うという。

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あの日 何をしていましたか? ~東日本大震災から12年~

沢山の方のあの日を見て聞いて、改めて思うことを2人はフリップに書いた。山之内すずは「常に意識して」。被災した場所が完全に元通りになっていないということも、頭において意識しながら生きていくことで、自分の身に降り掛かった時にできる対応の仕方が変わってくるのではなどとコメント。村上は「語り伝える」。その中で、真実というのを語り足りてない部分が多々あるとし、そこに震災を防ぐ手立てがあるのではなどとコメント。NHK仙台局では、あの日何をしていたかという投稿を今も受け付けている。

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