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今回、三億円事件を特集。現在の価値にして約30億円にのぼり、捜査には約17万人以上が動員された。番組では180人以上の捜査員、関係者に取材したなか、知られざる事件像が浮かび上がる。
1968年12月10日午前9時過ぎ、日本信託銀行国分寺支店を出発した黒のセドリックは東芝の府中工場へと向かっていた。車には従業員のボーナス約3億円が積まれていた。白いオートバイに乗った警官姿の男が停車を指示し、「爆弾装置が仕掛けられているかもしれない」と話した。車体から白煙が上がると、男は「ダイナマイトが爆発するぞ」と大声で言い放った。銀行員たちが車から避難すると、男は運転席に乗り込み、現場から走り去った。12月6日、銀行の支店長宛てに脅迫状が届き、爆破予告が綴られていた。犯行時、男が「巣鴨の支店長の家が爆破された」と伝えたことで、銀行員たちは犯人の言葉を信じたという。犯人は空き地で輸送車から別の車に乗り換えていた。遺留品は約120点にのぼり、多くは大量生産品。犯人像を絞り込むことは難航した。
数ある重大事件で実績をあげていた平塚八兵衛は三億円事件の初動捜査を検証するなか、目撃証言をもとに作成されたモンタージュ写真を疑問視した。銀行員は犯人の顔を見ていなかったにもかかわらず、「見た」と告白していたという。また、警察はS(当時19歳)を重要な捜査対象としていたが、Sは自宅で謎の中毒死を遂げた。Sには犯罪歴があり、地元出身ということで土地勘もあった。父親は警視庁の白バイ隊員だった。だが、Sと事件を関連付ける確かな証拠はなく、平塚は「事件に関係なし」と報告。実は奪われた現金には保険がかけられ、東芝の工場の従業員には1日遅れでボーナスが支給された。三億円事件はエンターテインメントとして様々な作品の題材となった。戦前の国家権力の暗部、被害者が亡くなる残虐性はなく、精神科医の野田正彰氏は「楽しむことができる余地があった。アメリカやヨーロッパの犯罪小説、犯罪の映画を見るように」と語る。
平塚が根拠に乏しいと指摘したモンタージュ写真だったが、捜査に使われ続けた。事件と関係がなく、私怨を晴らそうといった利己的な情報が警察に殺到。捜査対象者は膨れ上がる一方、人員は削減されていった。70年代、捜査員17人に対し、対象者は9万人近くにのぼっていた。69年12月、ある新聞社は三億円事件をめぐって重要参考人がいると報じた。警察は会見を開き、逮捕を事前に公表。26歳の男性運転手が別件の容疑で逮捕されたが、NHKをはじめ各社は実名、顔写真を報じた。だが、男性は三億円事件の当日、就職試験を受けていたためアリバイが成立。釈放されたがトラウマ、偏見に苦しみ続け、男性はのちに自死した。
三億円事件の時効が迫るなか、井寺俊史氏(86)らは新鮮な目で捜査資料を見直すことになった。さらに、警察はシロと結論づけたSとその周辺を捜査。事件当時18歳だったAはSの友人とされ、事件後に金回りがよくなっていた。記者だった中島健一郎氏は馴染みの捜査員に頼まれ、ハワイでAにインタビュー。Aはのちに帰国し、警察はシロと結論づけている。75年12月9日午前0時、時効が成立した。刑事部長として捜査を指揮し、のちに警視総監となった土田國保氏は捜査員にあてた手紙を認めていた。元捜査一課長を夫に持つ笠間貴久江さん(92)は手紙から無念さが伝わってくるという。時効から5年後、モンタージュ写真は事件と無関係の男性の写真がそのまま使用されたと報道された。男性は事件の前年、不慮の事故で亡くなっていた。写真が使われた経緯は遺族に説明されていない。
エンディング映像。
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