- 出演者
- バカリズム 林修 斎藤ちはる 伊沢拓司 島崎和歌子 室井滋 高橋茂雄(サバンナ) ビビる大木 高山一実 武藤十夢
「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」の番組宣伝。
昨年度の熊による人身被害は200人以上とされ過去最多を更新。岩手県のショピングセンターに体長50cmのツキノワグマが入ってきた映像を紹介した。侵入から約2時間後、クマは捕獲された。その被害は地方だけではなく都内でもあり檜原村では2頭のツキノワグマが養鶏場を襲撃しようとする様子がカメラに収められた。相次ぐ被害を受け熊を「指定管理鳥獣」にする方針で実行されれば捕獲などを国から支援される。
ルーマニアでは観光客などの餌付けによってクマの人馴れが進み問題となっている他、世界各国の人とクマが急接近した映像が公開された。本来熊に背を向けて逃げるのは良くないがイタリアの少年の場合は熊の方を向いている大人もいたから大丈夫だったなど話した。
狩りをする男性にクマが突っ込んでくる映像など熊の身体能力を撮影した映像が公開された。今、日本や世界で問題となっているのが人の生活圏に姿を現す熊「アーバンベア」の急増。
「映画ドラえもん のび太の絵世界物語」の告知。
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市街地に出没するアーバンベアが増えている。アーバンベアの行動として車のドアを開ける様子や、冬眠場所を探して床下に潜んだ巨大クマの映像が公開された。アーバンベアが増えた理由として大井特任教授は猟師が減少し人を恐れなくなった、里山の利用が減り人里近くに現れるようになったと説明した。
クマが猫など他の動物と遭遇した時の映像が公開された。国立環境研究所によるとネコは希少性の生態系に影響をもたらす侵略的外来種ワースト100に選ばれるほどの生き物である。
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藤子・F・不二雄の偉業に迫る。ドラえもんは70の国と地域で放送されている。2024年に生誕90周年を迎え、藤子・F・不二雄ミュージアムでは多くのファンが殺到した。藤子・F・不二雄ファンのサバンナ高橋が講師を務める。
1933年富山・高岡市で生まれ、10歳のときに藤子不二雄Aと出会う。18歳で漫画家デビュー。元々ペンネームは「手塚先生の足元にも及ばない」という意味で足塚不二雄だった。
藤本弘は30歳の時、5作品を4雑誌で連載していた。多忙を極める中、1963年にトキワ荘のメンバーでアニメ会社「スタジオゼロ」を立ち上げる。初代社長の鈴木伸一さんはラーメン大好き小池さんのモデル。鈴木さんが証言する藤本のいたずらエピソードを紹介。あるとき藤本はUFOの写真を撮ったと見せてきたが実際はUFOの切り抜き写真をガラスに載せて撮影したものだった。鉄腕アトムの下請け依頼を受け、藤本らは寝る間を惜しんで作業に没頭した。その第34話は今もファンの間で伝説として語り継がれている。鈴木さんは「鉄腕アトムは失敗でしょうね、キャラクターがバラバラになっちゃった」「やっぱり漫画家はクセがあって漫画家なんですよ」と話した。藤本もアニメの難しさを痛感し、徹子の部屋では「アニメは別の才能だとわかった」と語っている。スタジオゼロの社長はあみだくじで決定していた。二代目はつのだじろう、三代目は藤子・F・不二雄、四代目は石ノ森章太郎だった。経費は漫画家から回収していた。林はチャレンジがあったからこそ、その後の発展に繋がったとコメントした。
「徹子の部屋」では2人が高校生の時に描いた回覧誌が紹介された。まさに漫画家としての原点ともいえる作品。藤子・F・不二雄は「お金にならないマンガを描いている時が一番楽しかった」と語っている。
藤子・F・不二雄のスゴい偉業の紹介。2つ目がヒット作が出ない壁を打ち破った逆転劇。団塊の世代が大人に成長し子ども漫画から離れていった。団塊の世代が新たに飛びついたのが大人向け漫画。藤子・F・不二雄が当時書いていた21エモンなど子供向け漫画は人気が低迷していた。しかし藤子・F・不二雄のもとへビッグコミックからオファーがあり初めて大人向け漫画に挑んだ。その漫画がミノタウロスの皿であった。
1970年に「ドラえもん」の連載が開始され、現在も連載中。「ドラえもん」の始まりには意外なエピソードがある。「ドラえもん」初代編集者の河井常吉さんは連載が始まる1カ月前に連載予告を描いてもらうことになったが全然できなかった、締め切り前日に電話をすると「朝一番に取りに来てください、それまでに仕上げておきます」と言われたと話した。こうしてできあがった予告原稿には“ドラえもん”がどこにも描かれていなかったという。連載開始1カ月前にタイトル・キャラクターが決まっていなかった。“ドラえもん”が生まれた過程は1995年に公開された映画「2112年ドラえもん誕生」で描かれている。
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ドラえもん誕生は屋根の上にいた猫と当時流行していた起き上がりこぼしの人形から着想を得て誕生、映画「2112年 ドラえもん誕生」で描かれている。日常にあるものを組み合わせ新しいものを作り出す藤子・F・不二雄は徹子の部屋出演時に「片足は現実に引っ掛け手を伸ばして空想の世界へ」と語っている。初代編集長・河井常吉氏は藤子・F・不二雄氏を何気ない会話の中に話しの種を見つけようとする姿勢、別け隔てなく話を聞く人柄だったと語る。
世界各国で翻訳される「ドラえもん」。昨年11月にスティーブン・スピルバーグ監督が藤子・F・不二雄の生誕90周年を祝う手紙を寄せた。
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スピルバーグ監督が宛てた藤子・F・不二雄の生誕90周年の手紙には”Sukoshi Fushigi Stories”と藤子が大切にしていた日本語が書かれていた。藤子・F・不二雄ミュージアムでは藤子が実際に使用していた机や書斎が保存されている。