- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 黒田基樹
今回、最初の戦国大名になったと言われている北条早雲を特集。
- キーワード
- 北条早雲
オープニング映像。
足利義満が造った邸宅は花の御所と呼ばれ、幕政の中心となった。洛中洛外図屏風も描かれていて、その向かい側に伊勢家の邸宅があった。伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は28歳の時、全国から寄せられる陳情をさばく「申次衆」に就いた。だが、12歳の時に起きた応仁の乱の影響で治安は悪化し、幕府の権威は失墜。誉れ高い出自であるはずの盛時すら、160万円の借金を返済できなかったとされる。不景気が当たり前、先行きは不透明だと認識しているロスジェネと通ずるところがあるという。38歳の時、早雲は手勢を引き連れて伊豆へ侵攻する。伊豆は11代将軍の腹違いの兄が統治していて、11代将軍の実母、弟を弑するなど反逆者だった。早雲は伊豆の西側に領地を持っていた武将たちと交渉し、陸路ではなく海から上陸し、足利茶々丸を奇襲。のちに討滅し、伊豆を手に入れることに成功。
戦いの最中、北条早雲は出家していた。幕府に仕えることに区切りをつけることを意味し、京都にいた妻子、家臣を伊豆へと呼び寄せた。戦国大名として歩んでいく決意が見て取れるという。
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- 北条早雲
黒田基樹教授は守護と戦国大名の違いを概説した。大名は幕府から自立し、自らの領国にいたという。なお、北条早雲は足利茶々丸を戦ったが、茶々丸は関東管領の山内上杉方にあたる。必然的に山内上杉と敵対関係となった。
小田原城はかつて要害堅固、難攻不落の城とされ、山内上杉家に仕える大森氏が統治していた。北条早雲がどのように攻めたのか、その記録は残っていない。江戸時代に書かれた軍記物によると、早雲はたいまつをつけた牛の群れを用意し、敵方は大軍がいると動揺した。混乱に乗じて、城を奪取したという。取材班は牛の角突きが重要無形民俗文化財に指定されている新潟・小千谷市を訪れ、闘牛のベテランである平沢隆一氏にインタビュー。牛は顔を合わせると角をぶつけ合う習性があり、たいまつをつけることすら難しいという。
北条早雲が小田原城を攻めた明応9年、大地震が発生。被害を受けた大森家の戦力が低下したことは、北条にとって有利に働いて城を奪い取ることができたという。ある史料には倹約家な早雲だが、いざという時には全財産をなげうつほどの大胆さを備えると記されている。
北条早雲は拠点としていた韮山城近くの山中で金の採掘に取り組んでいたという。また、江戸湾の出入り口にあたる相模、房総を支配下に置けば、船の通行税、積み荷の課税権が得られる。実際、早雲は房総半島へと進出していた。さらに八丈島には良質な桑が自生し、高級な絹織物も生み出されていた。早雲は他国の大名、有力者に贈呈することで関東進出の後ろ盾を得ようとしたといい、島内に土塁を築かせていた。
「歴史探偵」の次回予告。
