2025年11月12日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
ニッポン カツオだし浪漫(ロマン)

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 河合敦 
(オープニング)
今回は...

今回は日本人とカツオの深い関係を調査。

オープニング

オープニング映像。

(歴史探偵)
スタジオトーク

約1300年前の奈良ではかつおだしを天皇、上級貴族たちが堪能していたという。鰹節が日本史の文献に初めて登場したのは室町時代。

古代”天皇の味”を追え!

奈良文化財研究所に保管されている木簡には「堅魚(カツオ)」と記され、伊豆や駿河から平城京へと運ばれていた。運搬するとなると約20日は要する。古代の食文化を研究する三舟隆之特任教授は「塩鰹」に注目。鰹の内蔵をとって塩漬けしたもので、1匹に2kgの塩を使う。切り身をご飯に乗せ、お湯を注ぐと塩味と旨味が抽出されて美味しいという。完成した塩鰹は毎年、富士山に奉納される。かつて、駿河湾では海面が真っ黒に染まるほど鰹の大群が押し寄せ、古代人からすれば命を繋いでくれる天からの贈り物と考えられた。そのため、多くの魚のなかで鰹は特別な存在に位置づけられているという。

キーワード
伊勢神宮塩鰹奈良文化財研究所立教大学西伊豆(静岡)那閉神社

平城京跡から出土した木簡から、鰹魚を煎じてスープにしたものを天皇や限られた貴族たちが食していたと読み取れるという。伊豆、駿河の海沿いで土器が多数出土し、採取した成分を分析すると、海由来の生き物であることがわかった。土器でつくった煮汁をさらに煮詰めた「堅魚煎汁」とはどういうものか、三舟特任教授、栄養学に考古学の専門家、カツオのプロフェッショナルの協力のもと、再現を試みた。海水を煮詰めて塩分濃度を上げ、長期輸送にも耐えられるものにしたと考えられる。15%だと常温でも腐敗しにくい。再現実験ではガス、鉄製の鍋を使ったが、古代だと大量の薪、ひび割れのリスクがある土器が使われたと考えられ、かなりの重労働だったと思料される。

キーワード
奈良文化財研究所
スタジオトーク

河合敦氏は「堅魚煎汁は税なので、納められないとなったら一騒動」と話す。スタジオには鰹のアラを使った堅魚煎汁、使わなかった堅魚煎汁が用意され、佐藤二朗らが試飲。春先にとれるワカメも天皇の食卓に並べられたという。

古代”天皇の味”を追え!

平城京跡から徳利状の土器が出土し、古代のペットボトルと言ってもいいという。仏具の華瓶、兵士の水筒に用いられたと考えられるが、奈良文化財研究所の小田裕樹氏によると、窯跡は駿河、伊豆にしかないという。堅魚煎汁を注ぎ、奈良の都へと運ばれたと推理する。この堅魚煎汁を使ってどのようなスープが作られたのか。木簡には古自と記されていて、いわば国産のパクチーといえる。スープの具材に使われたかもしれないと、専門家たちは試作を行った。

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パクチー天智天皇奈良文化財研究所長屋王
スタジオトーク

スタジオには堅魚煎汁を使った2種類のスープが用意され、佐藤二朗らが試食した。佐藤は「和食の原点を見た気分、現代と古代が繋がった感じ」と語った。カツオのだしが広がるきっかけとなったのは鰹節。土佐から徳川家康に贈られたという記録もある。ただ、一般庶民にまで普及となると、江戸時代まで待つことになる。

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徳川家康
”天皇の味”から”私たちの味”へ

1619年に運航した菱垣廻船は様々な生活物資を運んだ。人気商品を運ぶ速さを競うレースも行われていたという。また、各産地では開発競争も激化し、どの地域がより高品質か番付もつくられた。なお、鰹節の味を向上させる秘伝の技を他にリークした職人は二度と、故郷の地を踏むことはできなかったという。江戸時代後期、料理のレシピ本が大量に出版された。当時の料理に詳しい車浮代さんは「1日に1度しかご飯を炊かないので、残りは冷やご飯になる。おいしくいただくため、だしかけというジャンルが生まれた」と話す。福留奈美さんによると、カツオだしと味噌の組み合わせが庶民にも拡がったという。

キーワード
名飯部類料理早指南集東京聖栄大学菱垣廻船
スタジオトーク

江戸時代という泰平の世にかつおだし、和食の発展がみられたが、河合敦氏は「人々の欲求を満たせるだけのカツオもとれた」と話す。海産物の恵みと日本の食文化の豊かさは切っても切り離せず、佐藤は「感謝を忘れないでいたい」と語った。

(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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