2026年9月30日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
桓武天皇と京都誕生 最新研究で解明!遷都の理由とは

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 堀井優太 河合敦 
(オープニング)
今回は…

桓武天皇は794年に平安京遷都。なぜ都を移さなければならなかったか。調査の結果、見えてきたのは水にまつわる都市問題だった。

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京都府平安京桓武天皇
オープニング

オープニング映像。

(歴史探偵)
スタジオトーク

桓武天皇がもともと即位したのは平城京だった。即位からわずか3年後に都を長岡京へ移すし、さらに10年後に平安京へ都を移していった。なぜ短期間に2回も都を移さなければならなかったのか。

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なぜ都を移したのか?桓武天皇 水との戦い

桓武天皇は即位前、役人として仕事をしており、天皇になる予定のない傍流の皇族だった。皇位継承のなかで有力皇族が次々に脱落し、思いがけず即位することになる。即位から3年後、平城京から都を移すことを決断。新しい都に移り、思い通りの政治をしようとした。また、仏教勢力から距離を取ろうとする狙いもあった。一方、平城京は人口急増による排せつ物の問題が発生していた。排泄物を流していた川は水量が少なく、大量の排せつ物が堆積。さらに疫病もまん延。遷都の背景には深刻な都市問題が秘められていた。

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スタジオトーク

平城京は川から離れており、物資の運搬に向いていなかった。古代の都は流通に使われる川の位置が重要だったため、遷都の理由の一つだと考えられる。桓武天皇が都を移そうとしたのが長岡京だった。10年しか都が置かれなかったこともあり、詳細がわからず「仮の都」だったのではないかと考えられてきた。しかし、調査の結果、平城京の弱点を克服しようとした立派な都だったことがわかってきた。

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なぜ都を移したのか?桓武天皇 水との戦い

長岡京発見の父と呼ばれる中山修一はどのように長岡京を発見したのか。目をつけたのが地名。長岡京から都が移ったあと、荒れた内裏を思わせる地名や馬を飼育する施設を思わせる地名などを手掛かりに調査。そして昭和30年に宮殿の門跡を発見され、長岡京の発掘調査がスタート。現在まで2500回を超える発掘調査を実施。長岡京が平城京に匹敵する本格的な都であることが判明した。

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長岡京は平城京が直面した水の問題を解決するため、計画的に造られた都だった。長岡京には小畑川など都を斜めに横切るようにいくつかの川が流れていた。平城京を流れる川より水量が多く、排せつ物をスムーズに流すことができたと考えられる。南東に流れる大きな桂川が大阪湾へ繋がり、物資の運搬も円滑に行えるようになった。しかし、恵みもたらす川は氾濫を起こす暴れ川でもあった。桓武天皇の時代にも大きな水害の記録が残っている。水の豊かな川と水運の良さを求めて行った長岡京遷都だったが、都を手放さざるを得なくなった。

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スタジオトーク

発掘された桓武天皇の所有物「御物」がスタジオに登場。甲冑に使われる板状の金属「小札」と呼ばれるもの。古墳時代から長岡京時代まで歴代天皇が受け継いできたいくつもの甲冑の小札だと考えられる。傍流から皇位についた桓武天皇にとっては、自分の正統性を示すものととして甲冑を所有する意味は大きかった。

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なぜ都を移したのか?桓武天皇 水との戦い

桓武天皇は平安京始まりの地と呼ばれる京都の景色を見て、都を移すことを決めた。平安京は大きな鴨川と桂川に挟まれた地にあり、その川が大阪湾に流れ込むため物流の面で便も良かった。そして桓武天皇は東堀川と西堀川という2本の真っ直ぐな川をつくった。西堀川は、もともと斜めに流れていた紙屋川を途中から真っ直ぐに作り変えた川だった。真っ直ぐな川は堆積物を溜めることなく、スムーズに流すことができる。さらに平安京は北から南まで約38mの高低差を利用して堀川をつくり、水が北から南に流れ落ちるようにした。地形的な基盤として北高南低の土地を選んだ。

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また、堀川には別の大きな狙いもあった。西川堀跡の近くで当時流通していた古銭が発掘された。その場所は西市と呼ばれ、市場があったとされる。また、反対側の東堀川にも同様に東市という市場があった。2つの市場で売買が行われ、それらの品は船で南北に運搬された。2本の堀川は単なる排水路ではなく、物流の大動脈でもあった。2回の遷都のよって桓武天皇は川を生かした理想の都を完成させる。新たな都は平らかで安らかな都にという願いを込めて平安京と名付けられた。

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スタジオトーク

河合敦は「平安京こそが古代都市の完成形といえるかもしれない。人工的に真っ直ぐにしたものの、西堀川も何度も氾濫を繰り返す。やがて西側の右京には人が住まなくなってしまった。その結果、京都の中心は東側の左京に移ることになった。」と語る。

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京都府平安京桓武天皇
なぜ都を移したのか?桓武天皇 水との戦い

毎年10月22日に開催される時代祭。桓武天皇が平安京に都を移したとされる日に行われている。行列の山場は桓武天皇の御霊を乗せた神輿。桓武天皇に現在の京都を見てもらう意味がある。

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スタジオトーク

佐藤二朗は桓武天皇の足跡を振り返り、「京都は千年以上、都であり続けて、そのなかで文学や芸術も発展し、日本文化そのものの基礎が生まれた。桓武天皇は特別な存在で、今の日本を築いた重要な一人。」などと語った。

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京都府桓武天皇
(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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